判決を前に開かれた会見で両親と並ぶ西山美香さん(左)。これまでを振り返り、令子さん(右)と輝男さんが苦渋の表情を浮かべた=23日、彦根市大東町

判決を前に開かれた会見で両親と並ぶ西山美香さん(左)。これまでを振り返り、令子さん(右)と輝男さんが苦渋の表情を浮かべた=23日、彦根市大東町

 滋賀県東近江市の湖東記念病院で2003年、患者を殺害したとして殺人罪で逮捕され、服役した西山美香さん(40)の再審は、両親の力なしには始まらなかった。16年間、娘の無実を信じて、再審請求をしてくれる弁護士を探し、署名集めに奔走した。病に倒れてもあきらめなかった。「20代だった娘がもう40歳。その間自由を奪われたと思うと、つくづく長かった」。万感の思いで、判決の31日を迎える。

 「娘は殺していない。冤罪だから助けて」。最高裁で懲役12年が確定した07年。父輝男さん(78)と母令子さん(69)は2人で看板を持ち、駅前に立った。視線は冷たく、立ち止まる人は少なかった。

 04年7月6日、西山さん夫妻は、美香さんが任意で取り調べを受けていた滋賀県警愛知川署(現東近江署)で「自白したので逮捕する」と告げられた。美香さんは逮捕直後から2人に無実を訴えた。だが、取り調べで、うその「殺人の自白」を重ねていた。

 美香さんは幼少時から小さなうそをついた。自分で買ったものを「もらった」と言い、両親を「本当の親ではない」と話した。警察へと両親へで、相反する美香さんの言葉。逮捕直後はどちらが本当か、悩んだ。警察の指示で、亡くなった患者の遺族宅にも訪れた。だが、無実を訴える美香さんの必死さに「親が信じなくて誰が信じる」と心を決めた。

 最高裁で有罪確定後、輝男さんは1500ページ分の裁判資料を抱え、滋賀や京都、大阪で弁護士を探し回った。2人で近所を回り、彦根駅や大津駅前に立ち、署名を募った。「何で殺人なんかしたんや」。言葉をぶつけられた。

 令子さんは09年、脳梗塞で倒れ、半身にまひが残った。輝男さんは1人で活動を続けた。令子さんは心配で夫を止めたが、やめようとしない。車いすで輝男さんの横に戻った。和歌山刑務所には毎月2回、欠かさず通った。片道約4時間、浮かせた特急料金は差し入れ代に回した。

 美香さんは両親の支えを当たり前と思った。面会では悪態をついた。だが、同室の受刑者や弁護士から「毎月来てくれる親はいない」「支援がなくても署名を集めてくれた」と諭された。「私は自暴自棄だった。それでも愛情から行動してくれた」とありがたさに気付いた。

 第2次再審請求から支援者が増え、捜査の問題点が次々と明らかになり、美香さんの無罪は確定的となった。それでも、2人は「うそを言ってはいけないと、もっと教えておけば」「警察は市民の味方だと信じた自分が情けない」と今も自身を責め続ける。「無知でもやるしかなかった。娘も親もつらかった。時間は戻らない。すべてが終われば、これからのことを考えたい」と、雪冤(せつえん)の日を待つ。