認知症と診断されても、いままで歩んできた道が否定されるわけではない。それぞれに生きがいがあり、これからへの希望がある。道は続く。京都で暮らす人たちの声を届けたい。

カフェの洗い物を終えた鈴木貴美江さん(左)。帰宅後は長女佑三古さん(右)に、その日がどれだけ楽しかったかを事細かに話す=2月15日、京都市左京区

迷いながら覚えるんです 鈴木貴美江(すずき・きみえ)さん(80)=京都市左京区

 地域の住民と認知症の人が月1回、京都市左京区の病院研修施設を借りて楽しいひとときを過ごす「にこにこ・オレンジカフェ・いわくら」で、コーヒーを注いだり、カップを洗ったりするなどの水回りを担当している。「私に声を掛けていただいたことがうれしくて」と笑顔を見せながら、ほぼ立ちっぱなしで約3時間、仕事をこなす。
 10年ほど前に認知症の症状が出た。積極的に外出していなかったこともあり、デイサービスを拒否した。5年前、かかり付けの精神科医から「閉じこもっていたらもったいない、ぜひお手伝いを」とカフェ運営の仕事を勧められ、世話好きな性格がくすぐられた。ひいた豆から入れるドリップコーヒーを任され、意気に感じた。
 カフェには自宅から一人でバスを乗り換えて行く。発症前は一人でバスに乗ったことはなかった。通院なども一人で行く。長女の佑三古さん(55)が同行して乗り換えを確かめ、分かりやすいルートを見付ける。「迷いながら、迷いながら覚えるんです。慣れやね。もし地下鉄の出口を間違えたら、反対側に戻ればいい」
 できることを一つずつ積み重ね、自信が付いた。体操教室にも再び通い始め、昨年夏にはボランティア指導員の資格を取った。
 「80歳になって初めてスクワットや四股をやった。難しいけども、何でも勉強になりますね」
 今の目標は自転車に乗ること。実現すれば50年ぶり。群馬県に住む姉が乗っていると聞き、負けず嫌いに火が付いた。「転倒したらかなわんから」という佑三古さんの説得は聞き入れられそうもない。

ドライブの途中に海岸沿いの広場に立ち寄り、笑顔を見せる河原紀代子さん夫妻(13日、宮津市・奈具海岸)

物忘れ、笑い飛ばす 河原紀代子(かわはら・きよこ)さん(80)=宮津市

 「さっき買った物は忘れてしまうけど、口は元気だから」。話し出したら止まらない。「年を取ったら、頭がぴんぴんしているより、忘れるくらいがかわいいと思わへん?」
 認知症の前段階とされる軽度認知障害(MCI)の診断を受けている。3月中旬のある日、買い物に行き、夫政昭さん(83)の好きな焼きそばを二つの商業施設でそれぞれ買ってしまった。「だぶっちゃった」。2人で当日夜と翌日に食べた。物忘れをささいなことと笑い飛ばす。
 子育てが一段落した40代から、視覚障害者向けの点訳と高齢者施設での朗読ボランティアを本格的に始めた。豪快でいて、気配り上手。その人柄が慕われ、市ボランティア連絡協議会の会長も務めた。
 認知症を隠そうとする人が多いことを残念に思っている。「認知症かもしれない」と聞いた住民の自宅を訪ね、紀代子さんが通う勉強会や趣味に誘おうとしたが、拒絶されたこともある。「認知症やもん、って自分をオープンにできれば、面白く生きられるはずなのに」
 買い物で失敗することもあるが、炊事を自分で続けることにこだわり、それが自信の一つになっている。
 いま何よりの楽しみは、政昭さんの運転で出掛けるドライブ。京丹後市の経ケ岬灯台など丹後半島沿いを半日掛けて回ったりしている。
 「この人と行っても面白くないわ」と軽口をたたきながら、車の助手席に乗り込む。海を見下ろす絶景に気をよくしたのか、写真撮影を勧めたら、ためらいなく政昭さんの腕に手を絡ませた。
 「こんなん、一度もしたことないのに」。照れくさそうに笑みをこぼした。

「認知症と付き合っていく気持ちで過ごしたらいい」。診断を受けた人の相談に乗る会場で語る伊藤俊彦さん(中央)=11日、宇治市・京都認知症総合センター「カフェほうおう」

同情なら手助けは無用 伊藤俊彦(いとう・としひこ)さん(76)=宇治市

 北海道教育大釧路校で地学を教え、教授となり、定年退官した。長女の住む宇治市へ転居して間もない2012年に認知症の診断を受けた。それからは、もし物忘れが進んでも可能な限り自分の力で対応できるよう、「備え」を心掛けている。
 鍵などの自宅で使う物は常に同じ場所に保管するなどして行動パターンを一定にする。トイレの中でパニックになる可能性もあるので、鍵は掛けない。通帳は妻の元子さん(74)に預けた。
 通っている教会など、必要と思うところに自らが認知症であることを伝えることも「備え」の一つだという。
 「余計な手助けは無用」と言い切る。「できないことと格闘することになっても、私は自分の力でやれることはやりたい」と考えるからだ。
 「風邪だって鼻水だったり、せきだったりする。認知症も症状や思いは一様でなく、人によって違うでしょう」
 「かわいそう」と同情しながらも、レッテル貼りしてその人を覆い隠す。それは、その人の全人格を否定することだ。目を合わせて話を聞き、何を望んでいるのか、その人をしっかりと見てほしい。人と人との関わりという、当たり前の接し方をしてほしいとの思いがある。
 18年10月から市内にある京都認知症総合センターで、診断を受けて間もない人や家族の相談に乗る「ノックノックれもん」を元子さんと一緒に始めた。「認知症の本人が窓口になる場が必要だ」と、センターなどに働き掛けて実現した。月2回、コーヒーなどを飲み、和やかな雰囲気で語り合う。
 自らの経験も話す。自分も診断直後は「訳が分からなくなることが恐ろしい」と不安を募らせたが、「落ち込んだってしょうがない」と踏ん切り、備えに取り組んだ―と。
 「診断を受けた人が安心を得られるように、今の自分の姿を見てほしい」

メンバーと卓球を楽しむ杉野文篤さん(右)=2019年11月8日、京都市伏見区の高齢者福祉総合施設「健光園ももやま」

仲間が生きる力に 杉野文篤(すぎの・ふみあつ)さん(66)=京都市伏見区

 地域の住民と認知症の人が一緒に楽しむ卓球クラブを、2016年に京都市伏見区で立ち上げた。年上のメンバーから上手に打ち返され、悔しがりながらも「年齢と運動神経は一致しないもんですね」と笑顔を見せた。
 種智院大(同区)の事務長だった13年に認知症と診断された。受診先の医師は、自らの症状を説明していた杉野さんを遮り、妻由美子さん(64)に質問した。会話すら、させてもらえない。屈辱だった。「1人の人間として見てもらって生きたい。そんな環境をつくりたい」と考え、卓球クラブをつくった。
 区内の高齢者福祉総合施設の一角で月3回開き、10人前後が約2時間、汗を流す。その後は近くの行きつけの喫茶店に行き、その日のプレーや日常のことをわいわいと語り合う。
 なじみの店でないと失敗してしまうのではないかと不安で、緊張する。この喫茶店は店主の理解を得て、安心して心地よい時間を過ごせる。クラブ名「いちじくの会」は店名から名付けた。
 「一緒にコーヒーを飲み、ガス抜きして。さあ、またあしたと思える。僕に必要な場所なんです」と杉野さん。「仲間に救われている。生きる力になっている」
 ここ数年、正常圧水頭症を患うなど体調を崩すことが増えた。症状が進み、会話や歩行に影響が出始めた。それでも可能な限り由美子さんと講演の場に出向き、それぞれがそれぞれの言葉で思いを語る。
 「排除でなく、受け入れる社会に」。人としてつながっていくことで、新たなつながりが広がる。地域の住民が卓球クラブの存在を知り、「仲間にしてあげて」と認知症の男性と介護している妻を連れてきた。一歩一歩、進んでいる。

歌を披露する海老澤三千世さん(左)と岩井雅実さん=2月16日、大津市・長寿寺

私の居場所はここ 海老澤三千世(えびさわ・みちよ)さん(63)=宇治市

 1月中旬、自身が作詞した歌を収めたCDの制作を記念するライブを宇治市内の喫茶店で開いた。「Michiyo&オイワ」として20年近く一緒に音楽活動をする岩井雅実さん(62)=城陽市=のギター伴奏に、伸びのある声を乗せた。約50人を前に、「私の子ども」と紹介するほど愛着のあるオリジナル曲をはじめ13曲を歌った。
 2015年に軽度認知障害(MCI)と診断された。新しい仕事に就いたが覚えられず、3週間で辞めた。与えられた仕事をこなせず、周囲に謝ってばかりの状況に「悩んでいた」という。
 翌年、NPO法人の運営する地域カフェに出演を誘われたことがきっかけに、「Michiyo&オイワ」の活動を再開した。歌い始めて、「私にとっては歌が一番大切なこと」と気付いた。
 MCIであることを公表し、認知症関連の行事に招かれることが増えた。客席はいつも満員、有名な歌謡曲をカバー曲にして歌ったら自然と合唱になる。2人の歌とギターが、多くの人に届き、響いていく。「いろいろな場で歌えて、今はすごく幸せ」
 これからの社会の在り方を産学官民で考える「宇治市認知症アクションアライアンス れもねいど」の会合にも出席するようになった。当初は、忘れる自覚があるため「この人、前に会った人かな?」と不安になり、探りながら話すことがつらく、ほとんど無言だった。やりとりを重ねるうちに話すことも増え、ありのままでいいと安心できるようになった。
 ステージも会合も「今は行くのが楽しい。すごく救われている」。居場所があることがうれしい。