事件発生10年に際して開かれた集会でのメッセージ。「排外はもはや市民の心象のスタンダードになっていないか」と危機感がにじむ内容も(2019年12月22日、京都市伏見区)

事件発生10年に際して開かれた集会でのメッセージ。「排外はもはや市民の心象のスタンダードになっていないか」と危機感がにじむ内容も(2019年12月22日、京都市伏見区)

 京都市南区で2009年12月に起きた朝鮮学校襲撃事件をきっかけに、差別を扇動するヘイトスピーチの取材を続けている。インターネット上でも路上でも差別や中傷がやむことのない現在は、10年余り前の事件と地続きにある。直視すべきは、私たち一人一人の内なる差別意識だ。

 「ヘイトスピーチする人は、未来の私の姿だったかもしれない。マイノリティーに無知なままだったら、ネット上やデモでヘイトをまき散らしていたかもしれない」

 昨年11月、市内であった襲撃事件がテーマの集会。パネリストの1人で、ヘイトスピーチ規制を研究する京都女子大4年の女性(21)の発言が印象に強く残った。

 集会には、事件の爪痕を追う連載「ヘイト追跡」の取材で訪れた。被害の実相と差別者の実像に加え、うっすらと漂う差別意識の広がりも問題提起する-。企画のコンセプトに女性の言葉が重なった。

 女性は、小学生で韓国ドラマやフィギュアスケート女子の金姸児(キムヨナ)選手が好きになったという。中学生になり、ネット上で在日コリアンへの差別文言に触れるように。書店に並ぶ「嫌韓本」の前書きを高校生の頃に立ち読みし、「差別されて仕方ないことがあるんだろう」と考えていた。

 障害のある親族がいる、という。歩行が不自由で言葉が出にくい親族が、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害された事件に際し、「私も死ねばよかったんやろ」と家族に向けて言う姿を、女性は覚えていた。

 朝鮮学校襲撃事件の存在は大学の講義で知った。ゼミで在日コリアン史を学び、京都朝鮮中高級学校(左京区)に訪問して、生徒や保護者と交流を深めた。生の声を聞き、無意識に差別を許容してきた自らに気がついた。そして、やまゆり園の事件をどこかで「仕方ない」と思う気持ちがあると悟った。そうした社会の差別意識が、親族に「死ねばよかった」と言わしめたと感じた。

 「自分が差別者であることを忘れないでいたい」。女性は、マジョリティーとしての自らが抱える差別性へ自覚的でなければならないと言う。それでこそ、差別していることに敏感であれる。鈍感であることが何より危ない-。女性のメッセージがわが身に迫ってきた。

 襲撃事件の発生直後、私は筆を執る立場にありながら、事件の差別性を速やかに記事で批判できなかった。その後相次いだヘイトデモの現場も取材したが、問題提起の記事は書いていなかった。差別で生じた被害にも、差別者が生まれた背景にも、踏み込んで取材してこなかった。

 10年を経て、事件を巡る連載を同僚と書き上げた。私たち取材班は「差別を許さない」との報道姿勢を明示した。そこには、差別に敏感であり続けるという決意を込めた。

朝鮮学校襲撃事件 京都朝鮮第一初級学校(閉校)に「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバーらが押しかけ、ヘイトスピーチを浴びせた。周辺であったデモで差別的な罵詈(ばり)雑言が乱発された。民事訴訟で京都地裁判決は人種差別と認定、高額賠償を命じた。大阪高裁が支持、最高裁で確定した。