梅原猛さんら歴代所長をはじめ、所員が国内外からのゲストらとユニークな共同研究を進めてきた国際日本文化研究センター(日文研)。1987年、京都市西京区に創設された。4月には妖怪研究で知られた小松和彦さんから、「京都ぎらい」の井上章一さんに所長が交代。京都新聞との共催フォーラム「日文研―京都アカデミック ブリッジ」をスタートさせる。日文研は何を目指すのか。井上所長と瀧井一博副所長、呉座勇一助教が語り合った。司会は、京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。

【登壇者】
国際日本文化研究センター所長 井上章一氏
同副所長 瀧井一博氏
同助教 呉座勇一氏

日文研の研究などを語り合った座談会。左から瀧井一博、井上章一、呉座勇一のみなさん(京都市中京区・京都新聞社)

国内外からのゲストを結ぶ拠点に

 ―地元メディアと組む今回の企画の狙いは?

 瀧井 日文研では創設のころから、外国人研究員が一般向けに話す「日文研フォーラム」をハートピア京都(中京区)で開いてきた。桂坂からまちなかに降りて年10回程度、京都市民とふれ合って研究成果を伝え、互いに刺激を受け合う催しです。今回はそこから派生させ、広く日文研全体の活動を市民にお伝えするのが趣旨ですね。

 内容を時代の変化に合わせて更新することになった。日文研は映像関係、旅行業など私たちの活動を面白いと思ってくれる組織とも連携しており、新たにメディアと一緒に情報発信することで、催事の機能強化を目指したい。

 呉座 フォーラムで司会を担当してきた。毎回たくさんの方が来られてありがたい半面、リピーターが多く、来場者の裾野を広げられないかと考えていました。

 もう一点は、組織としての知名度です。井上所長や磯田道史さんら個人の知名度は高いのに、阪急桂駅でタクシーに「ニチブンケン」と行き先を伝えて「どこですか?」と返されることも(笑)。日文研としてのウェブ、SNSの発信には限界があり、研究成果や活動をもっと市民に知ってもらう必要を痛感していました。

 京都新聞には、初代所長の梅原猛さんら大勢の日文研関係者が寄稿などで登場してきたが、こちらも個人名で印象付けられていると思います。組織全体を市民に知ってもらうには、フォーラム形式がよい機会になるのではないか。

いのうえ・しょういち 1955年生まれ。建築史。87年創設時に日文研へ。京都新聞で2017~18年に「現代洛中洛外もよう」を連載した。呉座勇一さんらとの共著に『明智光秀と細川ガラシャ』(筑摩選書)。編著に日文研の共同研究をまとめた『学問をしばるもの』(思文閣出版)。研究者は、出身校や所属先、時代の制約を受けることを明らかにした。

 井上 日文研を市民に愛してもらおうというのに、所長が「京都ぎらい」でよいのでしょうか(笑)。

 瀧井 今回の一連の企画は京都新聞からのお題を日文研が受け止め、どんな人を組み合わせて登壇してもらうかを考えるのが新鮮でした。初回は、地元「京都」に関するテーマなども検討中です。。

 日文研はさまざまな大学などとも協力関係があり、登壇者の可能性も広がります。

 「国際日本文化研究センター」のセンターには、「海外からの研究者を含めた人が集まるところ」との意味合いがあると捉えている。この催しが、国内外からのゲストを結びつけるハブ(拠点)となれば、と思う。従来からの日文研フォーラムはその一翼を担っており、これをさらに充実させたいということです。

 井上 日文研の発足時からの所員として説明したい。設立の趣旨は、日本と海外の研究組織をつなぐことで、市民は想定してこなかった。ただ、海外の研究者がもらす日本文化に対する感想は、とても面白いのです。例えば、装飾を施した霊柩車を絶賛して「あれに乗ってみたい」とはしゃぐ姿は、私のデビュー作「霊柩車の誕生」に結びついた。アカデミックな世界だけにとどめるにはもったいない。ぜひ市民の方々にもおつきあいいただきたい。

 ドイツ人が小澤征爾指揮のベートーベンを聴くことはあっても、日本人がイタリア人による本阿弥光悦論に耳を傾けることがあるだろうか。研究の門戸が開かれていないからだ。たとえば雅楽研究を海外にも解き放ち、国際的な共有財産にすることもできないか。こういった日文研の研究の方向性が、フォーラムなどを通じて京都市民に届いてほしい。

 私のことは嫌いでも、日文研のことは嫌わないでほしい(笑)。

たきい・かずひろ 1967年生まれ。法制史。2007年10月に日文研へ。2020年4月から副所長。京都新聞夕刊「現代のことば」執筆メンバー。「伊藤博文」でサントリー学芸賞。編著に日文研の共同研究をまとめた『越境する歴史学と世界文学』(臨川書店)。テーマは移民、交易、植民地文学などで、新しい世界観構築を目指す。

 呉座 「日文研―京都アカデミック ブリッジ」には、いろいろな架け橋をもうけたいという意味があります。海外の研究者に触れる機会であり、アカデミックと市民を結ぶ意味でもあります。

 井上 「ニチブンケン」の知名度アップは、あきらめているところも。学生募集でPRに力を入れる大学と、研究機関の日文研ではハンディキャップがありますね。一時的に話題になっても、そのニュースがすたれたらまた忘れられるでしょう。

 ―これまでの日文研フォーラムとの違いは?

 呉座 日文研に1~2年の短期滞在中の外国人研究者が、自身の成果を報告してきた。なかには一般向けにはとっつきにくいテーマもあり、講演スタイルでは学会発表のように堅苦しい面もあった。何人かで登壇するディスカッションの方が、聞きやすくなるでしょう。

 瀧井 近年、人文知コミュニケーターというポジションができた。若い研究者で、専門分野と一般の人をつなぐ役割で採用されている。ノーベル賞発表前などにも登場しているようだ。京都新聞からのテーマのリクエストに対して日文研が返答し、今回の催しが市民と日文研をつなぐコミュニケーターになればと考えています。

 ―本や映像などとフォーラムの違いは?

 呉座 出版物などは研究成果を順次発表するものだが、座談会形式ではその場で思いついたアドリブもある。かみあわなければ残念だが、個々の発言が化学反応を起こせば予想もしなかった展開になり、面白いものになるでしょう。

 井上 登壇者の潜在意識が発言になれば、面白い。隠しておきたいもの、意識でコントロールされている考え方が発言されたらいいと思う。著作にもあったな、という発言だけでは面白い展開にはならないでしょう。

ござ・ゆういち 1980年生まれ。日本中世史。2016年10月に日文研へ。2019年まで京都新聞夕刊「現代のことば」執筆メンバー。「応仁の乱」(中公新書)で室町ブームの先駆けに。日文研の研究者との共著に『戦乱と民衆』(講談社現代新書)。白村江の戦いや応仁の乱、大坂の陣を民衆はいかに生き抜いたかを討論している。

―2回目以降、小学生向けのフォーラムも考えたい。日文研では長年、地元の桂坂小で所属の研究者が順番に授業を持っていますね。実績の一部は「小学生に授業」(小学館文庫)に収録されている。

 井上 ふだんの私たちは、学術向け用語で語る人たちと社会をこしらえている。専門用語を使わず、どこまで伝えられるのか研究者としてのトレーニングになるでしょう。説明できなければ、自分がきちんと理解していなかった部分を認識することにもなりそうです。

 瀧井 井上さんが以前、桂坂小での授業から戻って、「今の小学生は『フランダースの犬』を知らない」と驚いていた。世代間のギャップも実感しそうです(笑)。

 井上 おじいさんと小学生ですから(笑)。

 ―会場からの質問をどう受け止めるか。

 呉座 専門家だけなら自明の前提があり、論じずに先に進むところがある。そこを尋ねられると、わかっていない部分がわかるかもしれない。

 井上 質問によってもう一度、考え直す機会になるだろう。日文研というより個人の見解だが、可能な限り、日本の学会を解き放つ機会にしたい。フランス革命は、世界中の研究者が論じている。一方、安土桃山時代の研究者は、9割以上が日本人ではないだろうか。あれっと思う外国人や一般市民の疑問をうまく受け止めれば、学問を活性化させる可能性もあるだろう。

 瀧井 初回は、どんな人選とテーマになるか。若い世代、さまざまなゲストにも加わっていただければ、日文研らしい面白い展開になると思います。期待してください。

ポピュラー文化こそ中心

【佐藤卓己さんからエール】

京都大の佐藤卓己教授

 日文研の機能も、創設の頃とは重心が変わってきたと思う。当初はまず日本人による優れた日本研究の海外発信が要請されていたが、現在では外国人研究者が京都から国際的に発信するプラットフォーム機能が重視されている。

 日文研からの発信内容は、必ずしも狭義の日本文化でなくてもよいし、伝統的な高級文化を扱う必要もない。むしろ日常生活で目にするポピュラー文化こそ、日文研から発信される研究の中心対象となるべきだろう。保護が必要な文化財ではなく、流通している文化商品こそが日本研究のグローバルな価値を生み出している。

 その意味では「風俗史家」を名乗る井上章一さんが所長となることは、時代の流れに合っている。2001年~04年に日文研に在籍したOBとして、地元メディアと一緒に進める新しい試みを応援したい。(談)

【日文研とは】

 

 日文研 梅原猛、河合隼雄、山折哲雄、片倉もとこ、猪木武徳、小松和彦。歴代所長は、積極的にさまざまな分野の人たちとの研究・交流を進めた。

 京都市立芸術大学長などを歴任した創設者・梅原さんは哲学者。スーパー歌舞伎創作、行政の相談役、「古典の日」推進よびかけ人など多彩な顔で知られた。河合さんは文化庁長官として京都移転の契機を作る一方、臨床心理の専門家として個人カウンセリングを続けた。

 山折さんは宗教研究者で、座談の名手。猪木さんは経済思想に通じ、加えて音楽をはじめとする芸術を自在に語る。

 

 海外から日本研究者を1~2年単位で招き、外から見た日本文化、大衆文化の共同研究の成果を発信している。改元で脚光を浴びた中西進さんも在籍した。

 幕末に大流行した多色刷り版画「鯰絵」など各種資料を収集・ウェブ公開する事業も大きな柱になっている。

 1987年創設。4月1日現在、教員と研究員で計35人。米中韓など海外からの受け入れ研究員19人。京都市西京区御陵大枝山町。

日文研サイトhttp://www.nichibun.ac.jp/pc1/ja/

 

※「日文研―京都アカデミック ブリッジ」は、新型コロナウイルスの収束状況を確認したうえで開催日、会場をお知らせします。