コンピューターが発達し続ける先には、人工知能(AI)が人間の能力を超える時点があるという。米国の未来学者レイ・カーツワイル氏は、それを「シンギュラリティ(技術的特異点)」と呼び、2045年までに到来するとしている。

 そんな時代が来ても、社会を動かすのは人間のはずだ。人が人に働きかけ、理解と共感を得て合意形成し、物事を前に進める。大昔から繰り返されてきた人間の意思決定のあり方である。

 だが実際には、相手の反発を恐れたり、目先の利益を優先したりして、実行をためらうことが少なくない。未来社会の予測が難しいのは、こうした人間の「都合」が本来なすべき行為を阻むためだ。AIが進化しても、人間の都合を読み切るのは簡単ではあるまい。

■安易な財源への依存

 残念ながら平成の時代も、人間の都合による問題の先送りが政治決定の場で繰り返されてきた。

 その最たるものが、膨れあがった国と地方の借金である。

 経済対策などの名目で積み上げた長期債務は19年度末には最悪の1122兆円となる。あまりに巨額でもはや実感もわかない。

 国民の3割が65歳以上で、社会保障費は毎年1兆円のペースで増えている。昨年の出生数は統計開始以降最少の92万1千人だった。

 少なくなる一方の若い世代の将来に、私たちの世代が残した重いつけがのしかかる。だが、新たな借金を厳しく抑制し、増税などによって現在の世代で負担を分かち合おうとの機運は見られない。

 財務相の諮問機関である財政制度等審議会は昨年11月の建議で、借金を膨張させた30年間の財政運営を「共有地の悲劇」という例えを使って厳しく批判した。

 極めて異例のことである。

 誰もが利用できる共有地では資源が過剰に利用され、やがて枯渇する。現在世代は今の生活水準を維持するため、将来に必要な財源を共有地のように考え、安易に依存してこなかったか-と。

 地球温暖化などの環境問題も根は同じだ。私たちは先人から受け継いだ豊かな自然や経済的資源を消費するばかりだ。子や孫の世代に何を残せるというのだろう。

 注目すべきは、建議が「政策決定の場に将来世代の利益を代弁する者がいない」と指摘していることだ。「今さえよければ」ではなく、未来からの声を想定して政策決定できる仕組みを探っていくことは今後の大きな課題であろう。

 それを実現する考え方の一つに「ドメイン投票法」がある。未成年の子どもに投票権を与え、その行使を保護者にさせる方法だ。子どもの未来を考え、長期的視点に立った投票が期待できるという。

■将来世代になりきる

 これに対しては、1人1票の民主主義の原則に反するとの批判がある。重い負担の先送りを避けるためだとしても、それだけでは正当性を持つと認められない。

 そもそも、膨大な借金を背負ってしまったのも、私たちが現在の制度の中で「民主的」に決めた結果である。この論理を覆すのは簡単ではなさそうだ。

 ただ、ヒントになりそうなやり方はほかにもある。

 数十年先にタイムスリップし、その時代の人になりきって未来のことを考える手法だ。

 大阪大准教授の原圭史郎さんは15年に岩手県矢巾町で、町の未来ビジョンを考える実験を行った。

 まず、協力してくれる住民を、現在世代の立場で考えるグループと60年時点の住民を代弁する将来世代グループに分けた。町の現状を学習したうえ、それぞれビジョンに必要な政策を練ってもらい、両グループで討議した。

 現在世代からは「子ども医療費の無料化」など今の課題やニーズを踏まえた提案がなされた。

 これに対し将来世代からは、歴史文化を観光に生かすなど地域の長所を継続的に活用する案が示された。子ども医療費無料化には「次世代に財政負担させたくない」と否定的な意見が出たという。

 自分がどの世代を生きるかによって、考え方や立ち位置に違いが出たのが興味深い。

 人は将来世代の代弁者の役割を与えられると、現在世代とは異なる発想で未来を考えることが可能になる-と原さんは見る。

 「フューチャー・デザイン」と呼ばれるこうした手法の試みは、地域の未来像を探る各地の自治体に静かに広がっている。

■新たなシステム必要

 世代を超えた課題の解決には、新たな意思決定システムの開発が不可欠-。そう強く感じさせる。

 未来に生きる人の視点を現在の政策に投影させる仕組みの実現に一定の社会的合意が得られれば、持続可能な社会づくりへの一歩につながるかもしれない。

 シンギュラリティが到来する近未来、AIは将来世代の人間になりきって地域の行く末を考え、最適な答えを出せる能力を備えているだろうか。

 自分たちで未来のあり方をどう決めるかを模索する人間の意思の力はAIをしのぐ。新しい時代にそんな可能性を信じたい。