京都大人文研の藤原辰史准教授。「危機の時代の言葉は重い。発信にためらいもあった」と話す

  新型コロナウイルス禍に戸惑う人々に向け、いかに生きるべきかを歴史学の立場から考察したインターネット上の短いテキストが話題を呼んでいる。京都大人文研准教授の藤原辰史さん(農業史)による「パンデミックを生きる指針」。今月2日に公開され、1週間に30万件超のアクセスがあったという。藤原さんは「危機の時代、それぞれが自分なりに腹をくくる必要がある。生き方を考えるきっかけにしてもらえたのでは」と話す。

 岩波新書ホームページ「B面の岩波新書」に掲載された。「必読の文章」「文系の神髄ここにあり」「ものすごい熱量」といったコメントがSNS上で相次ぎ、閲覧数を伸ばしていった。「まさかこんなに反響があるとは。過去の歴史の声に耳を澄ませて『いたこ』のように伝えただけなのに」と本人も驚く反響の大きさ。それもそのはず。「何より強調したかったのは、甘い希望を抱いてはいけない、という暗いメッセージ」なのだから。

 

 全6章、A4判換算で8ページのテキストは「起こりうる事態を冷徹に考える」と題した文章から始まる。人は、甚大な危機に接すると思考の限界に突き当たり、楽観主義にすがって現実逃避してしまう。そんな傾向に注意を促し、歴史学者は「過去に起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別することを可能にする」とつづる。

スペイン風邪で相次ぐ京都市内の死者数を報じる京都日出新聞(大正7年11月)

 そこで注目したのが、100年前に流行した「スペイン風邪」だ。第1次世界大戦期、人やモノが激しく移動した時代のパンデミック(世界的大流行)。ウイルスが原因であり、国を選ばず発生し、初動に失敗し、デマが飛び交い、といった状況が現在と「似ている点が少なくない」とし、教訓を引き出す。例えばスペイン風邪は3回の波があった。「感染者の数が少なくなったとしても絶対に油断してはいけない」と説く。軍隊組織に属し、異議申し立てできない境遇が、まん延や病状悪化につながったとの分析から、「過労死や自殺者さえも生み出す日本の職場の体質」を憂う。

 社会の反応にも注目する。「政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされた」事例と対比しながら、差別的な言葉や「逸脱」へのバッシングが止まらない現状を「疑心暗鬼が人びとの心底に沈む差別意識を目覚めさせている」と指摘する。藤原さんは「過去から聞こえる声の大半は『負の声』なのです。危機に乗じ、鬱憤を晴らすかのように憎悪をむき出しにする。そうした事例にあふれている」と語る。

 だから終章は、過ちを繰り返さないための思考を試みる。「世界史の住人たちは一度として、危機の反省から、危機を繰り返さないための未来への指針を生み出したことがない。今回こそは、今後使いものになる指針めいたことを探ることはできないだろうか」と。

閑散とした京都の繁華街(4月10日午前10時48分、京都市下京区・四条河原町)

 うがい、手洗い、食事、睡眠という日常の習慣を「誰もが誰からも奪ってはならない」とつづる。この「あたりまえ」を強調するのは、その権利を奪ってきた歴史があるからだ。「組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、異議申し立てることを自粛させてはならない」と説く。各国の政治家による「われわれは戦争状態にある」「戦時下の大統領」との発言に「こうした言葉はもろ刃の剣。緊急性を高めることのみならず、異論を弾圧することにも極めて効果的な言葉だ」と厳しい目を注ぐ。

 「果たして日本はパンデミック後も生き残るに値する国家なのかどうか」。歴史研究の枠を超え、未来に目を向けて言葉を紡ぐ、その決断は「武漢での封鎖の日々を日記につづって公開した作家、方方に触発されたから」と明かす。テキストでは、こんな風に引用している。

 「一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、高層ビルが多いとか、車が疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか(中略)、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」

藤原さん

 自らの言葉でこう続ける。「危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか」

 今後ますます、同調圧力が強くなり、「きれいな一つの意見」に集約されていくとみる藤原さんは「指針というタイトルを付けてはいるけれど、誰かに与えられ、命令された指針は簡単に折れてしまう。それぞれが、どうやって生きていくべきかを自分で考え、何が試されているのかを引き受けていくことが大切ではないでしょうか」と語る。