児玉聡・京都大文学研究科准教授

児玉聡・京都大文学研究科准教授

 新型コロナウイルスの感染拡大対策のため、緊急事態宣言が政府によって発令された。世界的にも社会で団結してウイルスと「闘う」ことが叫ばれている。感染症の排除は重要な一方で「行動の自由」といった個人の権利が制約される懸念もある。生命倫理学が専門の児玉聡・京都大文学研究科准教授に聞いた。

■効果の実感 個人には薄い面も

 -各個人が協力して行動を制限し、ウイルスの感染を抑えることが必要となっている。
 「ウイルスに感染しても無症状の人がいる。そのことから考えれば、必ずしも行動制限が各個人の自己利益になる訳ではない。むしろ『ほかの命を助けるための協力が求められている』と受け取るべきだ。『善行』が求められているとも言える」
 -では「善行」をしない場合は非難されるのだろうか。
 「善行しないからといって非難するのは行き過ぎにも思える。完璧な善行をこなしている人はどこにもいない。ただし浅い池で溺れている子どもの救助のように、義務と言えるような善行もある」
 -溺れている人を助けることとは違い、感染症対策においては自分の行動が具体的な誰かを助けているとは実感しづらい。
 「確かに感染症対策では助けた相手がはっきりと見える訳ではない。各個人の行動制限が集積されて、社会全体における感染者や死者が何割か減るということになる。感染症対策のような公衆衛生では集団的な効果を見る。個人にとっては行動制限しても効果を実感できないことが多いかもしれない」
 -個人の利益の有無にかかわらず、社会全体のために奉仕する大切さは否定しない。ただ『ウイルスとの闘い』など、社会の総力戦をイメージさせる言葉に違和感もある。
 「戦争と似ている面はあるかもしれない。私は3月まで約1年、英国に滞在していたが『平静を保ち、普段の生活を続けよう』という第2次世界大戦と同じ合言葉が今回も使われていた。英国の戦争観とは違い、日本では戦争に対する拒否感は強い。しかし民主的なプロセスを経て良き目標に向かっているのならば、社会への奉仕は認められるのではないか」
 -あえて言えば、個人よりも社会への奉仕を重視することは「全体主義」にも映る。
 「確かにそうかもしれない。全体主義とは何か、民主主義とは何か、という点が問われているのだろう」
 -感染症排除という良き目標を実現しようとする陰で、感染者らへの不当な差別も懸念される。
 「緊急事態宣言を発令された地域の人々は特別に行動が制限されている。やむを得ないだろうが、一方で特定の大学の学生の入店を断る飲食店もあった。どこからが差別で、どこからが合理的な判断による感染防御なのかは難しい問題だ」
 -これまでに経験したことのない事態が生じている。
 「新型コロナウイルスの感染症は、現代社会の抱えるさまざまな矛盾点を照らし出している。今回の行動をそのまま肯定するのではなく、何が妥当であり何を修正する必要があるのか。検証を続けなければならない」