<連載 記者の葛藤① 閉ざされる心>

 京都市伏見区の京都アニメーション(京アニ)第1スタジオ放火殺人事件で、新聞・テレビ各社は大規模な報道を展開した。時にそれは過熱した取材を招き、遺族やファンから批判を受けることがあった。一方、各社は遺族や関係者の心情に配慮した取材を目指し、試行錯誤を重ねた。京都新聞社は、事件の発生から4カ月にあたる昨年11月18日から同24日の間、計6回にわたり、発生当初に記者が取材で何を考え、どう行動したのかを検証する連載「記者の葛藤」を掲載した。一部加筆するなどして、連載記事をネット掲載する。

発生2日後に事件現場を訪れた人を取材する報道陣。遺族や犠牲者の知人を多数の記者が取り囲んだ(7月20日午後1時3分、京都市伏見区)

 事件から3日後の7月21日。安否不明の孫を案じる祖父母の話が京都新聞の朝刊社会面に載った。孫から贈られたイラストや手作りの室内履きなど思い出の品が詰まった自宅で、祖父母は不安な思いを語っていた。紙面には、成人式で晴れ着をまとった孫の写真が掲載された。事件後、初めて載った安否不明者の写真だった。
 「取材に応じるのも苦しいはずなのに、時間をかけて思いを話してくれた」。取材した本田貴信(37)は振り返る。

「家族のために」

 本田が祖父母宅に取材に訪れたのは前日の20日のことだった。家の前には既に他社の記者が2人いた。何度も呼び鈴を押さないよう共同取材を申し合わせ、玄関で1時間半、孫への思いを聞いた。過去の事件や事故で遺族の取材拒絶を経験した本田は、終わりがけに「なぜ取材に応じてくれたのですか」と尋ねた。

 「娘(孫の母)がどうにもならない状態なのに取材が殺到している。私たちが対応するから、どうか娘の所には取材に行かないで」。祖父は膝をついて頼み込んだ。
 祖父によると、孫の自宅には夜でも他社の記者が来ていたという。「祖父は自らが取材に対応することで、報道各社から孫の家庭を守ろうとしている」と本田は感じた。一方で祖父は「孫について知ってほしい」とも話した。

「声取りこぼさない」

 報道機関はなぜ遺族に取材をするのか。京都新聞社の被害者取材を統括した吉永周平(46)は「肉親しか語りえない犠牲者の足跡と、志半ばで命を奪われた犠牲者に寄せる遺族の思いは、他のどの言葉にも代えがたい重みを持つと思う」と話す。

 これまで大事件・大事故のたびに遺族への過熱取材は繰り返され、報道する意義と書かれる側の痛みを巡る葛藤が課題となってきた。京アニ事件でも、会社側は事件発生直後から取材の自粛を求めていた。

 京都新聞社は、遺族に取材に応じてもらえるかどうか、一度は確かめる方針を立てた。吉永は「遺族の中には、社会に訴えたいと願う人がいる可能性がある。こうした声を取りこぼさないためにも意向確認はさせてもらいたいと考えた」と説明する。

 しかし、自宅の呼び鈴を押したり、家の周りで帰宅を待ったりする記者に対し、遺族は警察を通じて苦情を訴えるケースがあった。

 本田は発生1週間の節目に合わせて祖父母宅を再訪した。この日も他社の記者が10人ほど家の周りにいた。本田は呼び鈴を押したが返事はなかった。それから2度、祖父母宅を訪れたが会うことはかなわず、1度は祖母とみられる声でインターホン越しに「勘弁してください」と告げられた。

 本田は「発生から間もない時期にかけがえのない命の重みを伝える意味はあったと信じたい。だが、複数社の報道が集中して、祖父母の心労が募り、大きな負荷をかけてしまったと思う」と自問する。

 遺族取材をどのように進めるべきだったか。本田の中で今も答えは出ていない。

(京アニ事件取材班 広瀬一隆)

=2019年11月18日に京都新聞に掲載