<連載 記者の葛藤② 取材される痛み>

 京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件を巡る京都新聞社の取材を検証する連載1回目では、取材班の本田貴信(37)に同僚の私が聞き取って執筆した。私自身ほかの事件や事故を取材してきた中、大事件が起こるたび遺族へ報道陣が殺到することに疑問を感じてきた。その経験を基に、京アニ事件では取材手法の改善に努めた。しかし結果は十分とは言えなかった。連載2回目では、私自身が京アニ事件の遺族へ取材した経緯を報告する。
=京アニ取材班・広瀬一隆(37)

警察の規制が解除され、事件現場に集まった報道陣(7月20日午後4時16分、京都市伏見区)

 兵庫県加古川市の住宅地。事件発生から5日後、緊張しながら1軒の民家の呼び鈴を押すと、玄関の扉が開いて津田伸一さん(70)が顔をのぞかせた。初対面にもかかわらず突然の訪問となったことをわび、安否の分からなくなっている長女幸恵さん(41)の話を聞きたいと伝えた。私の表情がこわばっていたからか、「そんな顔せんでいい」と自宅の中へ招き入れてくれた。
 「いつ連絡があるか分からんから」。通された部屋で待っていると、伸一さんが携帯電話を手に入って来た。当時はまだ京都府警による犠牲者の特定は終わっていなかった。ただ事件の翌日、身元確認に必要なDNA試料を採取されており、娘の死は覚悟しているようだった。

苦しい胸の内にじむ

 既に複数の報道機関に取材に応じてきたといい、「頼まれると嫌と言えないから」と語った。私は伸一さんに、幸恵さんが京アニで働き始めた経緯や事件発生を知った時の状況などについて質問を重ねた。淡々と答えてくれたが、親のために車を買おうと幸恵さんが貯金してくれていたことを語る時には目頭を押さえた。
 言葉の端々に苦しい胸の内がにじむ伸一さんを前にすると「大変な状況にいるこの人から今、話を聞いて良いのか」との思いがこみ上げた。
 「記者を全部名指しで批判しないと懲りない」「マスコミに迷惑行為を受けたら迷わず警察に通報しよう」-。京アニ事件の発生直後からウェブ上では、報道各社の取材に対して多くの批判が書き込まれた。
 京都新聞社5階の編集フロアでは連日、私たち取材班の記者が遺族取材の在り方を議論した。遺族の声を他社に先駆けて報じようとする従来の取材を見直し、遺族と長期的な信頼関係を築くためにも「遺族を傷つけるリスクの回避を優先するべき」という意見が大勢を占めた。
 周りの人の話から拒絶意向が強いと判断した遺族については会いに行かず、自宅周辺の取材もできる限り自粛することを決めた。過去の事件では葬儀や通夜の会場周辺で参列者を取材してきたが、今回はそれも控えた。

「時を置いてほしい」

 そうした中、取材に応じてきた数少ない遺族の中には「(現場近くに設置された)献花台にたくさんの人が訪れているのを知り、取材を受けて娘のことを伝えたいと思った」と語る父親もいた。こうした声がある限り話してくれる遺族を探す意義はあると、取材班で共有した。だが取材班が接触しようとした遺族の多くは「とても話す気にはならない」と断ったり、玄関口の取材拒否の張り紙を貼ったりしていた。
 伸一さんも、会うたびにむなしさを口にした。幸恵さんの死が判明した後の8月に訪れた時には、「どどっと質問されると余計なことはやめてくれと思う。時を置いてほしい。悲しみの内容は分からないだろうから」と声を絞り出した。娘を失った理不尽さにさいなまれる伸一さんから報道の意味を問われ、返す言葉がなかった。
 京アニ事件では過去の大事件と同様、生前の犠牲者を連日報じるため各社が関係者宅に多数の記者を送った。取材班では可能な限り配慮に努めたが、遺族に大きな負担を強いたことは否めない。
 積極的に思いを訴えたい遺族もいれば、そうでない遺族もいる。それぞれ多様な思いを抱える遺族に対して、傷つけるリスクを伴いながらどのように取材すればよいのか。取材行為に伴う「暴力性」をぬぐいきれない中、取材する側の倫理が問われているのを痛感している。
(2019年11月19日京都新聞掲載分を大幅に加筆)