<連載 記者の葛藤③ 近隣住民>

 住宅街で起こった京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件で、現場周辺の住民に当時の様子を聞くことは重要な取材の一つだった。現場で警察の規制が解除されると、記者たちが近隣の家に殺到した。住民への迷惑を最低限にしつつ貴重な証言を集めるという「理想」の困難さが浮き彫りとなった。

事件現場近くには、住民の日常生活やプライバシーを脅かさないよう訴えるメッセージが掲げられた(8月27日、京都市伏見区)

 事件発生2日後の7月20日午後4時前。現場周辺には数十人に上る記者とカメラマンが集結していた。記者たちは京アニ第1スタジオ(京都市伏見区)周辺の立ち入り規制の解除を待ち構えていた。規制線の内側には約30軒の家がある。報道陣の中には、京都新聞社取材班の只松亮太郎(28)がいた。ふだんは府警を担当しており、事件発生当初から現場や京アニ作品の舞台周辺で聞き込みを続けてきた。


 警察官が現れた。「皆さんの仕事は分かります。でも、くれぐれも節度を持って取材してください」と告げ、規制線を外した。


 記者たちは住宅街に向かって一斉に駆け出した。只松は目撃談が聞けるとの情報を得ていた家に着くまでの間、あちこちの家の玄関に張り紙があるのを目にした。


 〈私ども住民も精神的、肉体的に大きなショックを受けていますので、取材はご遠慮ください〉

規制線の内側

 規制線の外側での取材では、只松はここまで強い拒絶に直面したことはなかった。それまでにも、事件発生直後に青葉真司容疑者(41)を現場近くで介抱した女性から生々しい証言を得ており、近隣住民にはよりリアルな状況を聞けると考えていた。「住民の厳しい感情を初めて見た。呼び鈴を押していいのか、ためらった」


 目的の家には張り紙はなかったが、呼び鈴を押すと家人から「後にしてください」と断られた。周囲の民家の前には、それぞれ3~4人ずつ記者が詰めかけていた。


 只松は取材班の他の記者と共に約2時間、現場で聞き込みをした。容疑者らしき男を見たとの証言も得られた。「時間とともに記憶は薄れる。その時その場所でしか聞けないこともある。でも聞き込みをしている間、警察官の言葉が頭を離れなかった」と話す。


 凄惨な事件に間近で接した住民にとって、大量の報道陣による取材は日常の平穏をさらにかき乱すものだった。30代の男性は「道路を記者が埋め尽くしていた。家の前に取材を断る張り紙をしていてもチャイムが鳴り続けた。近くのコンビニへ行くだけでも(記者に)囲まれた」と振り返る。

隔たる「理想」と現場

 事件・事故の遺族や関係者への集団的過熱取材(メディアスクラム)は、神戸連続児童殺傷事件などが起きた1990年代に社会問題として浮上した。批判の高まりに対し、日本新聞協会は自律の動きを強め、「近隣の交通や静穏を阻害しない」など取材者が最低限順守すべきルールを定めた。


 しかし、京都新聞社の被害者取材を統括した吉永周平(46)は「京アニ事件に限らず、協会がうたう理想と事件発生直後の現場の間には今でも大きな隔たりがある」とみる。
 第1スタジオ周辺の住宅街では、規制が解除された翌日以降も取材の自粛を訴える張り紙が掲げられ続けた。

(京アニ事件取材班 広瀬一隆)

=2019年11月20日京都新聞に掲載