<連載 記者の葛藤④ 弔いの場>

 事件現場となった京都アニメーション(京アニ)第1スタジオ(京都市伏見区)の約100メートル南に、発生2日後から献花台が設置された。犠牲者の知人や国内外のファンが途切れることなく訪れ、近くに連日張り付いた報道各社の記者が思いを聞き取った。記者が鎮魂の場に立ち会うことは許容されるのか。そんな問いに京都新聞取材班は直面した。

献花台などで京アニ作品のファンから聞き取った思いを掲載した8月19日付の京都新聞朝刊紙面

 「どのような思いで来られましたか」「京アニの関係者の方ですか」。多い時は20人を超す記者が献花台周辺で待機し、声を掛け続けた。京都新聞社も毎日2~3人の記者を配置した。犠牲者の知人で取材に応じてくれる人には、故人との思い出や人柄を聞いた。ファンの中には、盛夏の炎天下で数十分にわたり作品への思いを語ってくれる人もいた。記者は、そんな声を丁寧に記録していった。

「見世物ではない」


 一方で、記者を振り切るように足早に立ち去る人もいた。「献花台の近くまで行ったけれど、報道陣がいたので引き返した」。そう話すファンもいた。取材班の中には「犠牲者を悼む場に大勢の記者がたむろするのはおかしい」と否定的な意見もあった。


 入社2年目の田中浩貴(26)は献花台の取材に加わった当初、「記者が質問することで余計に悲しませると思い、声を掛けられなかった」と話す。実際、「祈っている私は見世物ではない」「よく泣いている人に今の気持ちなんて聞けますね」と厳しい言葉を浴びせられたこともあった。

 追悼の場で取材を行う是非は、京アニが11月3、4日に京都市で実施した一般のファン対象の犠牲者追悼式でも問題となった。


 京アニ側は、代理人弁護士が報道対応の窓口になっていた。京都司法記者クラブは、多くの人に開かれた式だという点を理由に、会場内の取材許可を求めた。代理人弁護士は、会場内などの限られたエリアで取材を認めるとした一方、公道を含む会場周辺での取材禁止を提示した。

「譲れない一線」


 京都新聞社で司法を担当し、代理人弁護士との調整に当たった冨田芳夫(32)は「公道のような公共空間での取材は、『報道の自由』のためには譲れない一線だった」と語る。記者クラブと代理人側の調整は不調に終わり、式典当日、報道機関は会場内での取材ができなかった。その代わり、各社は会場周辺の公道でファンの声を聞き取った。


 献花台周辺でも、記者の多くは取材を拒む人には速やかに離れるなど追悼の雰囲気を損なわないよう努めていた。約1カ月、献花台で取材を続けた田中は「私たちファンの声をうまく記事にしてほしい」「犠牲者一人一人の生きた証しを残して」と訴える声も聞いたという。


 京都新聞社は8月19日の朝刊で社会面と第2社会面の全面を使い、約20人に及ぶファンの声や写真を載せた。アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」を観て不登校から立ち直った女子中学生。早世した妻が京アニ作品の鑑賞を闘病の支えにしていたと語る男性-。大半が献花台で取材に応じてくれた人たちだった。

(京アニ事件取材班 広瀬一隆)

=2019年11月21日京都新聞に掲載