<連載 記者の葛藤⑤ 記者クラブ>

 京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件で報道各社が遺族宅に殺到することが最も懸念されたのは、犠牲者の身元公表時だった。京都府警本部庁舎(京都市上京区)にある記者室では事件発生後から連日、府警記者クラブ加盟の新聞とテレビ14社の記者が集まり、府警の身元公表に備えて集団的過熱取材(メディアスクラム)対策を協議していた。

日夜「特ダネ」競う

 記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」(日本新聞協会の定義)だ。当局に情報開示を迫る時などは一致団結するが、普段は捜査情報をいち早くつかんで「特ダネ」を報じることにしのぎを削る。


 今回、ライバル同士が連携を模索した理由について、京都新聞社で府警取材を統括する岸本鉄平(38)は「遺族の負担を軽減するのはもちろん、遺族にメディア不信を抱かれるのを避けたかった」と振り返る。

 事件発生から15日後の8月2日。府警は犠牲者のうち10人の氏名を初めて公表した。各社はこの日に向け「まとまった形で取材し、取材拒否が明確なら各社で情報を共有する」と決めていた。実際に、ある犠牲者宅では一部の記者が聞いた遺族のコメントを全社で共有した。

 一方、取材に応じた遺族が「記者に囲まれた。もう取材は受けない」と府警に苦情を寄せる例があった。岸本は「残る犠牲者の公表に備えて明確な取り決めが必要というのが、記者クラブの共通認識になった」と話す。

犠牲者の身元発表を受け、慌ただしさを増す京都新聞社の編集フロア(8月27日、京都市中京区)=画像の一部を加工しています

 各社は新たな取り決めを作り上げた。まず、犠牲者宅から離れた公園や駅に記者の集合場所を設定。そこで記者が話し合い、新聞・通信社1人、テレビ1人の計2人の代表を選出する。この2人が犠牲者宅の呼び鈴を押して、取材を受けてもらえるかどうか確認する-という仕組みだ。

 発生40日後の8月27日。府警は残りの犠牲者25人全員(当時)の身元を公表した。各社は取り決めに従って取材に当たったが、訪ねた家は不在だったり、インターホン越しに「取材を受けるつもりはありません」と拒まれたりした。

 周辺に警察官がいる家も複数あった。普段は行政を取材し、応援で取材班に加わった相見昌範(40)が犠牲者宅に近づくと警察官が現れ、「遺族に確認したが、かたくなに取材を拒否している。意向をくんでほしい」と告げられた。

 京アニ事件では、府警が遺族から実名公表や取材の諾否を聴き取り、報道機関にその意向を伝えるという異例の対応をとった。だが府警が「取材や実名を拒否している」とした遺族でも本紙の記者が会いに行くと「そんな事実はない」と話すケースがあり、捜査機関が遺族の考えを正確に把握する難しさが浮き彫りになっていた。それだけに相見は「意向を直接確認できず、もどかしさは残った」と話す。

 この日は記者会見を開いた1遺族を除き、取材に応じた遺族はなかった。一方、遺族から府警に寄せられた苦情もなかった。

「個々で考え続ける」

 今回の取り決めはメディア業界で「京都方式」などと呼ばれて注目された。一方、取り決めを厳格化し過ぎると、本来自由であるべき取材活動に制約が加わる側面があった。そのため各社は、取り決めの効力は府警の身元公表当日に限定することを申し合わせた。


 岸本は「効力を身元公表時以外にまで拡大するのは現実的ではないと感じた。長期間に及ぶ取材の中で、遺族の心情を害さないために何ができるのか。現場の記者一人一人が考え続けるしかない」と話す。

(京アニ事件取材班 中塩路良平、広瀬一隆)

=2019年11月23日京都新聞に掲載