兄は弟を捨て、叔父は甥(おい)を見放し、姉は弟を顧みず、時には妻も夫を顧みなくなった。そればかりか信じがたいことに、父や母が子の面倒も見ずに避けて通った―▼中世末期の1348年に大流行し、ヨーロッパの人口の3分の1が死んだとされる黒死病(ペスト)。イタリアのボッカチオの物語集「デカメロン」には死の恐怖におびえるフィレンツェの人々の姿が描かれている▼当時は病原菌の知識はなかったが、身近に接すれば病気が伝染することは分かっていた。多くの感染者は避けられ孤独の中で死んだ。街に放置され、無造作に埋められた遺体も多かったという▼新型コロナウイルスでも家族間で感染が広がる。病院では家族の面会は厳しく制限され、死後も対面できないケースがある。近しい人と会えないことは病気と同じぐらいつらいことだろう▼伝染病への恐れが社会的な差別や暴力につながる場合もある。黒死病の時代、ユダヤ人居住地が各地で襲われ住民の多くが虐殺された。井戸に毒を投げ込んだのが病気の原因というデマが広がったのがきっかけだった▼新型コロナでは、被害者である感染者、病気と闘う医療従事者らが差別や中傷に苦しんでいる。敵は病気であり、人間ではない。流言飛語に振り回される愚行を繰り返してはなるまい。