「子どもと一緒に遊びたいんです。次も、そのまた次も子どもたちの映画を作りたい」。先日亡くなった映画監督の大林宣彦さんは、1978年の記事でそんなことを語っている▼前年に「HOUSE」で商業映画デビューを飾り、新鋭として注目を集めていた。当時の洋画の観客層で最も多かったのが16歳で、彼や彼女らが喜々として足を運びたくなるような日本映画がないと訴えた▼思いを実行するかのように、さまざまな作品で楽しませてくれた大林さんである。「時をかける少女」など故郷の広島県尾道市を舞台にした尾道3部作は特に人気となった▼折しもバブルに向かう80年代。尾道のたたずまいは時代に取り残されたようでありながら、すぐにでも行ってみたい気持ちになった。見る人の価値観も時をかけていたのかもしれない▼京都で撮った作品もあり、地域とそこで生きる人たちに向けるまなざしは独特のものがあった。「映画は未来の平和をたぐり寄せる力がある」と、晩年は反戦が大きなテーマとなった▼一緒に遊ぶ―そんな映画のかけがえのなさを、今ほど思わされることはなかったのではないか。コロナ禍の中で届いた訃報。「いつ会っても笑顔」と故淀川長治さんがエッセーにつづった監督は、何より自身が夢中で映画と遊んでいた。