京都商工会議所会頭などを歴任した元オムロン社長立石義雄さん

京都商工会議所会頭などを歴任した元オムロン社長立石義雄さん

 世界で猛威を振るう新型コロナウイルスで21日に亡くなった立石義雄氏(80)=オムロン名誉顧問=は、社長や会長としてオムロンを成長軌道に乗せ、5期13年にわたる京都商工会議所会頭時代にも多くの実績を積み上げてきた。各界から哀悼の声が相次いだ。

 立石氏は、47歳の若さで3代目社長に就任。立石電機からオムロンへ社名変更し、中国での工場建設に積極的に取り組み、現在のアジア戦略の基礎を作った。「人を大切にする経営」が持論で、社員の趣味や家庭生活を重視。1988年に管理職に義務づけた3カ月間のリフレッシュ休暇制度は全国的な話題となり、「働き方改革」を先駆ける取り組みだった。

 2007年に京商会頭に就任し、京都が培った伝統や文化や自社の強みを生かした「知恵ビジネス」を推進した。中小企業振興のために「知恵ビジネスプランコンテスト」を実施。「知恵産業」の取り組みは京都府や京都市、産業支援機関にも広がり、今や知恵関連企業は3千件以上。立石氏の悲願だった「ベンチャーの都再生」に向けて、着実に成果を上げていた。

 立石氏の最も大きな業績は「京都経済百年の計」という京都経済センター(下京区)の開設だった。構想から10数年。朗らかで人を和ませる立石氏が企業や団体、行政をまとめ、まちなかの一等地にオール京都の象徴の建設を実現させた。

 3月末に塚本能交氏に後任を託し、同センターの運営法人「京都知恵産業創造の森」の理事長として「若者の夢を実現したい」と意気込んでいた。起業家育成に向けた本格始動はすぐそこだったが、コロナウイルスには勝てなかった。

 4月1日に京都商工会議所の会頭に就いた塚本能交氏(ワコールホールディングス会長)は突然の訃報に「大所高所から引き続きご助言を頂戴したいと思っていたが、もはやそのお考えやお人柄に触れることがかなわず、無念でならない」とコメントした。

 同志社大時代、観世流能楽部で謡曲や仕舞に親しんだ立石氏は文化に造詣が深かった。京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)の理事長として、京都の花街文化の保存、継承に力を尽くし、「各花街の将来は楽観できるものでない。芸舞妓に夢を与え、働く希望が持てる町にしていくことを真剣に考える時期が来ている」と語っていた。

 2017年の就任時、「オール京都による支援のあり方を探りたい」と意気込みを話した立石氏。19年には、各花街の懸案である歌舞練場の老朽化について、財団が窓口となって市民や財界から広く寄付を募り、改修を支える枠組みづくりに尽力した。

 お座敷との縁は、父に連れていかれたことがきっかけで「花街のもてなしから、ほんまもんの京都の文化を実感させてもらった」と懐かしんでいた。3月に京商会頭を退任した際、周囲に花街をもり立てるため「今後は『夜の会頭』に専念する」と笑顔で話していた矢先の訃報だった。