新型コロナウイルスによる感染症で、京都は経済界の重鎮を失ってしまった。政治や文化を含む「オール京都」の要でもあり、大きな痛手となろう。

 大手制御機器メーカーのオムロン(京都市)元社長で、前京都商工会議所会頭の立石義雄氏が亡くなった。

 先月末まで5期13年にわたって会頭を務め、今後は若手起業家を育てたいと語っていただけに、残念でならない。

 立石氏は、立石電機(現オムロン)の創業者である一真氏の三男として生まれた。

 1987年に3代目の社長となり、自動改札機や現金自動預払機(ATM)、健康医療機器などを普及させて事業を拡大した。中国に工場を建設し、社名をオムロンに変え、同社を世界的な企業に成長させたことでも知られる。

 「ベンチャーの都」とされる京都で、同社をその中核となる企業に育て上げたといえよう。

 手腕を発揮する場を、自社にとどめなかった点も評価したい。

 2007年、京都商工会議所の会頭に就任すると、京都経済が目指すべき方向として「知恵産業のまち」を掲げた。

 これは、京都の誇る歴史や文化財、昔ながらの暮らしの知恵を生かした企業活動を広げていく取り組みである。商品やサービスに工夫をして付加価値を加えれば、中小企業は存続できるし、ベンチャーの起業にもつながる。

 知恵産業の推進に向けて、ビジネスプランのコンテストを開いたり、企業の認証制度をつくったりした。京町家を宿泊施設として活用する事業など、その中から生まれたアイデアは、すでに各地で展開されている。

 知恵産業の創造という立石氏の戦略を、京都の経済人は今後も受け継いでいくべきだ。

 昨年、「京都経済百年の計」とされていた経済界の拠点、京都経済センターが、京都市下京区にオープンした。

 経済団体に加えて、関連する行政機関や産業支援組織など約50団体が入居し、若い企業人らが交流する場も設けられている。

 これも、経済団体の再編や、集結と交流が必要だとする立石氏のリーダーシップによって、実現したとされている。

 京都は近年、かつてのような大型ベンチャーを生んでいない、との指摘がある。立石氏の遺産ともいえる「知恵」と「拠点」を活用して、新たな動きが起きることを期待したい。