三つの桜がつぼみ、半開き、満開だったエンブレムが入ったレプリカ着を持つ髙田さん(京都市北区)

三つの桜がつぼみ、半開き、満開だったエンブレムが入ったレプリカ着を持つ髙田さん(京都市北区)

「ラグビーのおばさん」として親しまれた福井イシさん(1942年)

「ラグビーのおばさん」として親しまれた福井イシさん(1942年)

 ラグビー日本代表のシンボルとなっている桜のエンブレム。三つの花が開いた姿のデザインはかつて、つぼみ、半開き、開花の三つで構成されていた。全てが開花した現在に至る経緯には諸説あり、真相は分かっていない。「最初のデザインを考案したのは亡くなった祖母と聞いている」。京都に住む孫の男性(70)が、昭和の初めに京都と東京で運動具店を営み、ラグビー関係者と懇意にしていた「ラグビーのおばさん」の存在を初めて語った。

 1930(昭和5)年9月、日本ラグビー初となる代表チームがカナダに遠征した。監督は京都一中、旧制三高を経て東京大出身の香山蕃(しげる)さん(元日本ラグビー協会長)。桜のエンブレムはジャージーの左胸に刻まれ、つぼみ、半開き、開花の三つが並んでいた。

 太平洋戦争を経て52(昭和27)年10月、戦後初めて日本代表のテストマッチが、英国・オックスフォード大を迎えて東京で行われた。この時のエンブレムは三つの桜全てが開花していた。日本ラグビー協会によると、桜の変化について▽香山さんが開花させるように指示した▽業者がミスした-など諸説あるという。そもそも桜のエンブレムは、誕生した経緯から「記録が残っておらず決定的なことは不明」と謎が多い。

 「ラグビーのおばさん」こと福井イシさんは、1892(明治25)年に京都で生まれた。孫の高田憲一さん=京都市北区=によると、1922(大正11)年に四条通烏丸の一角でスポーツ用品を扱う「岩田屋運動具店」を開店。当時は珍しい海外製のラグビー用品が充実し、36(昭和11)年には東京・神楽坂でも店を営んでいたという。

 高田さんは母(福井さんの長女)や親戚から聞いた話として「祖母は女手一つで店を始めた。元来絵が得意で、いくつかの大学ラグビー部のユニホームもデザインした。明治大の監督だった北島忠治さん(故人)とも親しかった。話の中で日本代表のエンブレムのことも聞いた」と説明する。

 55(昭和30)年1月15日の京都新聞夕刊に福井さんの記事がある。英国製の立派なボールが陳列されていた店に、京大ラグビー部員が数多く来店。次第にラグビー用品が充実し、「ラグビーのおばさん」と呼ばれるようになったという。京大出身で日本協会専務理事も務めた奥村竹之助さんら名士とも親しく、東西のラグビー場にも足を運んだ。三つの桜が開花したジャージーが披露された52年のオックスフォード大戦も現地で観戦し、奥村さんと久しぶりに会って涙を流したとされる。

 たばこと洋酒をたしなんだ福井さんは93年5月、101歳で亡くなった。高田さんは「90年の歴史がある桜のエンブレムが今も大切にされていることに感謝したい。日本で初めて開催されるワールドカップ(W杯)を祖母も喜んでいると思う」と感慨を込める。