嵯峨嵐山-園部間の開通から120年を迎えた旧京都鉄道(撮影年月日、場所とも不明)=京都府立京都学・歴彩館提供

嵯峨嵐山-園部間の開通から120年を迎えた旧京都鉄道(撮影年月日、場所とも不明)=京都府立京都学・歴彩館提供

 旧京都鉄道の嵯峨嵐山―園部間が開業して、8月15日で120年を迎えた。当時の路線の一部は嵯峨野観光鉄道(本社・京都市右京区)が引き継ぎ、今ではトロッコ列車で保津峡の自然豊かな景観を楽しめる観光鉄道として定着している。

 京都鉄道の建設に尽力したのは、亀岡市出身の資本家で政治家の田中源太郎ら。私財を投じて1893(明治26)年に会社を創立した。当時は馬車が主な交通手段で、園部から京都まで片道で約5時間かかったといい、市民らの大きな期待を受けて敷設に臨んだ。

 京都―嵯峨嵐山間が先行して97(同30)年に完成した一方、保津峡の工事は難航。大勢の作業員を動員して8カ所のトンネルを開削し、51カ所に橋を架けた。予算圧縮のため資材の多くは近隣から調達し、鉄路の枕石や枕木には旧亀山城(亀岡市)の石垣や樹木も利用したとされる。

 苦難の末、嵯峨嵐山―園部間は99(同32)年に開通。丹波の多くの人々の生活の足として定着し、1907(同40)年には国有化され山陰線となった。その後、90(平成2)年に設立された嵯峨野観光鉄道が、複線化に伴い廃止された同線の一部を継承しトロッコ列車を走らせている。

 同社は8月15日に120周年を祝う式典を予定していたが、台風10号の接近で中止した。同社の担当者は「式典ができなくなったのは残念だが、保津峡に鉄路を整備した先人たちの苦労に思いをはせてほしい」と話した。