相国寺旧境内地で見つかった堀。これらを埋めた後、写真左手に礎石建物を築いていた(21日午後1時43分、京都市上京区相国寺門前町)=撮影・佐伯友章

相国寺旧境内地で見つかった堀。これらを埋めた後、写真左手に礎石建物を築いていた(21日午後1時43分、京都市上京区相国寺門前町)=撮影・佐伯友章

 京都市上京区の相国寺北側の旧境内地で、戦国時代の16世紀中頃にあった礎石建物跡が見つかったと、発掘調査した民間会社が30日発表した。大規模な寺院建築とみられるが、文献には見当たらず、戦火などで同世紀のうちに廃絶したとみられる。周辺では、建物に先んじた同年代の堀や溝の痕跡もあった。築造と廃絶を短期間に繰り返しており、乱世の政情不安を映した遺構とみられる。

 建物跡は東西12メートル、南北16メートル以上に及び、南北に長い造りだった。礎石が三つ残り、柱間は3・9メートルと広く、寺院建築の可能性が高い。北側に溝跡が沿い、焼けたものを含む16世紀の瓦が埋土から見つかり、16世紀中には建物を含めて廃絶したとみられる。
 京の寺院は戦国期に軍の陣所となり、室町将軍家ゆかりの相国寺も戦乱に巻き込まれた。1551年、同寺に陣取った幕府管領家の細川晴元方を家臣・三好長慶の軍勢が攻め、境内の大半が焼失している。
 調査した文化財サービス(伏見区)は「建物跡などはこの戦火で廃絶した可能性がある。近世の絵図によると、江戸時代にあった相国寺の塔頭『却外軒(ごうがいけん)』の敷地に当たるが、今回の遺構と結びつくかはよく分からない」としている。
 周辺では、16世紀前半ごろの堀(幅2メートル、深さ1・2メートル)のほか、さらにやや古い年代の溝(幅1・2メートル、深さ最大0・5メートル)もあった。1世紀足らずのうちに、建物跡を含め、過去の構造物を埋め戻し、後に築き直すことを繰り返しており、戦乱期の土地利用を示しているという。
 調査は、旧京都成安高(現京都産業大付属中高)跡地の土地売却に伴う整地に合わせ、敷地約1800平方メートルを調べ、すでに終えた。現地説明会は新型コロナウイルス感染拡大を予防するため、行わない。