「明智川」こと小畠川(左奥)のそばに立つ、順空住職。「明智川の名は、光秀が住民に慕われていた証しなのかも」と話す=京都市西京区樫原宇治井町

「明智川」こと小畠川(左奥)のそばに立つ、順空住職。「明智川の名は、光秀が住民に慕われていた証しなのかも」と話す=京都市西京区樫原宇治井町

西京区役所が作った動画の一場面。「たけにょん」(右端)と「なでがめちゃん」(左端)が、「明智かめまる」と一緒に明智川を紹介する

西京区役所が作った動画の一場面。「たけにょん」(右端)と「なでがめちゃん」(左端)が、「明智かめまる」と一緒に明智川を紹介する

 戦国時代の武将、明智光秀。今年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公に取り上げられ、各地に残るゆかりの地が脚光を浴びている。あまり知られていないが、京都市西京区にも、光秀が開発したとの伝説が残る用水路がある。その名も「明智川」。どんな物語があるのか。由来を探った。

 同区樫原宇治井町の樫原交差点から西に、幅1メートルほどの小さな川がある。コンクリートで壁面を整備され、住宅街の中をひっそりと流れている。一見して、戦国武将にゆかりがあるとは思えない。
 小川は右京、西京区の嵐山一ノ井堰(ぜき)から、向日市、長岡京市まで南北に流れる小畠川。総延長約20キロにわたる農業用水路で、正式名称は洛西右岸西幹線用水路という。川の脇に立つ駒札には「昔から、別名明智川と呼ばれてきた」とある。
 「光秀が住民のために造ったので、樫原では明智川と呼んでいたようです」。近くに住む西尾喜幸さん(95)が、地域に伝わる昔話を語ってくれた。
 1582年の「本能寺の変」の直後。織田信長を滅ぼした光秀が樫原地域に立ち寄った。光秀は「向こうに見える火事はどの辺りで起きているか、言い当てたら褒美を与える」と上機嫌で住民に尋ねた。住民は「本能寺の辺り」と即答し、水不足を解消するための川を造ってほしいと申し出た。光秀は村人たちの望みをかなえ、用水路を建設した。これが明智川だという。
 しかし、「三日天下」で知られる光秀に、用水路を造る時間などなかったはず。本能寺の炎が、遠く離れた樫原で見えたとも考えにくい。川の近くにある龍淵寺の順空和幸住職(30)は「史実とは違うけれど、樫原で光秀が慕われていたということでは」と笑う。
 光秀に詳しい亀岡市文化資料館の鵜飼均館長は、本能寺の変以前に、光秀が京都の支配を任せられていた時に用水路を造った可能性を指摘する。「地元との連携を図り、手腕を発揮した人物。住民は光秀を評価していたということでしょう」と話す。
 光秀人気にあやかりファンを呼び込もうと、西京区役所も明智川のPRに乗り出した。区のマスコットキャラクター「にしきょう・たけにょん」らと亀岡市の「明智かめまる」がイラストで登場し、明智川をたどる動画を制作。川の由来や街の見どころなどを約4分で紹介している。
 担当した区生活福祉課の堀弘道さん(29)は「伝説の真偽は分からないが、西京区にもゆかりの地があることを知ってもらいたい」と意気込む。動画は同区役所のホームページと、たけにょんのフェイスブックで公開している。