<年をとるって好きなの。若くなりたいなんて思わない>

 平成最後のミリオンセラーといわれ、今年上半期のベストセラーとなった樹木希林さんの「一切なりゆき」にそんな言葉がある。

 きのう15日は、希林さんの一周忌だった。がんに侵されたとはいえ、75歳での逝去は早すぎたと改めて思う。だが、続く言葉には思わずほおが緩んでしまう。

 <不老長寿の薬なんか発明されたら、即ヤメテ~>

 物事に執着せず、自由に生きるようにみえた希林さん。理想的な年の重ね方だと憧れる人も多いのではないか。

 死後、たくさんの本が出ているのはそのためだろう。一方で、実際は彼女のようにはなかなか生きられないということの、裏返しなのかもしれない。

■長寿社会になっても

 2018年の日本人の平均寿命は女性が87・32歳、男性が81・25歳。ともに過去最高を更新した。

 女性は4年連続で世界2位、男性は前年に続き3位である。女性は1985年から2010年まで26年連続世界一だった。

 長寿大国となって久しい日本。だが、安心して老いることができる社会かと問われて、うなずける人はどれくらいいるか。

 高齢化率28・4%は頭一つ飛び抜けて世界のトップである。25年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる。

 応分の負担増は避けられないと思っている国民も少なくないはずだ。それでも、社会の将来像がはっきり示されないことには「年をとるのが好き」と言いたくても言いにくくなる。

 95歳まで生きるには夫婦で2千万円の蓄えが必要という金融庁の審議会報告書が問題になったのは7月の参院選の前だった。

 大きな注目を集め、国民の間で年金制度への不安や不信感が広がった。日本の現状が浮き彫りになったといえる。

 「100年安心はうそだった」と批判が高まり、麻生太郎金融担当相が報告書受け取りを拒否すると、さらに不信感が増幅した。

 参院選後に公表された5年に1度の年金財政検証では、公的年金制度は持続できても受給額の目減りは避けられない現実が改めて突きつけられた。

 厳しい見通しを直視しなくてはならない。だが、政府が進めてきた「社会保障と税の一体改革」が一段落することになる10月からの消費増税を巡っても、景気対策の大盤振る舞いなどで本来の目的が薄れ、かえって将来不安が募りかねないありさまだ。

 「ヤメテ~」と言いたくなることが多すぎないか。

■「いつまでも若く」と

 いつのまにか高齢者を社会の「負担」と見る目が広がっていないだろうか。

 日本老年学会などが「高齢者は75歳以上」と提言したのは2年前だった。生物学的には、年齢は10年前に比べて5~10歳若返っている、という。定義を変えれば、高齢化率はぐんと下がる。

 生まれたときからブームを起こした団塊の世代は、若者文化を盛り上げるなど常に社会を変革してきた。高齢社会が新しい姿になっても自然なことに思える。

 3年前、米歌手ボブ・ディランさんがノーベル文学賞に選ばれたたとき、菅義偉官房長官は「私ども団塊の世代が憧れたスターだった」と述べた。

 「いつまでも若く」という名曲があるが、自分の息子に向けて作ったとされ、単純に若さや老いを歌っているわけではないところがディランさんらしい。

 70歳前後であっても活発な社会活動が可能で、実際にボランティアなどで「支える側」を続けている方も多いだろう。

 生き生きと高齢者が活動できる生涯現役社会は確かに望ましい。だが、財政負担が重くなる中で政府が一律に高齢者の就労を進め、年金支給年齢を引き上げるようなことでは不安は変わらない。

 拙速な議論ではなく、より総合的な制度設計が求められる。

■地域の支え合いこそ

 孤独死や家賃滞納などへの懸念から、高齢者が賃貸住宅の入居を拒まれる例が増えている―半年ほど前の気になる記事だ。

 京都市内でも65歳以上の単身高齢者は20年前の2倍以上に増加。持ち家の無い人が「ついのすみか」の確保に悩む場合も多い。

 こうした高齢者を支援するために市や不動産団体、福祉団体が設立したのが「市居住支援協議会」だ。物件を探して紹介し、見守り活動もする。

 先進的な取り組みとして、政府の高齢社会白書でも紹介された。地域での支援活動をいかに拡大していくかが重要だろう。

 高齢者の境遇はさまざまだ。単に年齢別ではなく、能力に応じた負担や支援の在り方を社会全体で考えるときではないか。

 「敬老の日」の起源は約70年前にさかのぼり、対象は55歳以上だったという。「敬老」の意味も変わっていくのかもしれない。

 年齢はもちろん、多様な側面から互いを敬い、支え合う。そんな社会を目指したいものだ。