京田辺市内の民家で保管されていた翠山の掛け軸。多くの虎を描き、「虎の絵師」とも呼ばれる(京都府京田辺市立中央公民館)

京田辺市内の民家で保管されていた翠山の掛け軸。多くの虎を描き、「虎の絵師」とも呼ばれる(京都府京田辺市立中央公民館)

翠山が描いた昭和3年の京田辺市多々羅の風景。のどかな絵を絵はがきに多く残した。

翠山が描いた昭和3年の京田辺市多々羅の風景。のどかな絵を絵はがきに多く残した。

 市史の編さんを進める京都府京田辺市が、地元で「虎の絵師」として知られた日本画家・生駒翠山に注目している。昭和初期の同市の風物をほのぼのとしたタッチで数多く描き、「郷土が誇る芸術家」として再評価する機運が高まっているためだ。ただ、画壇では無名とあって多くの作品は散逸している。市は「市史の目玉になるかもしれない」と期待し、翠山の情報や埋もれた作品を求めている。
 生駒翠山(本名・生駒義薫、1889~1964年)は和歌山市出身。日本画家の大橋翠石に師事した後、東京を離れて京都市などを転々とした。1927(昭和2)年ごろから亡くなるまで京田辺市多々羅で暮らした。
 絵筆一本で家族3人の暮らしを支えたとみられ、市内を中心に翠山が描いた虎の絵が多くの家で見つかっている。市は美術工芸分野の充実を目指す市史に翠山は欠かせないと判断し、翠山が京都市内の知人へ送った絵はがき約100点を購入するなど情報収集を進めている。
 市が入手した絵はがきには、初夏の田植えや冬の大根洗い、笠をかぶった茶摘みの女性など多々羅一帯の日常が描かれている。普賢寺川のウナギの味の評判や、日暮れの川で汗を流す一家の様子などもつづり、「なんとのどかな自然ぢやありませんか」と、文面からも当時の農村の暮らしぶりをしのばせている。
 同市の市史編さん室は「風物が丹念に描かれ、戦前の情景を知る貴重な資料だ。翠山が地域を愛していたことも伝わってくる」と指摘する。
 ただ、翠山の自画像は数点残るものの「どれも顔が全然違う」(同室)。当時の翠山を知る人もいるものの、遺族は写真を持っていなかったといい、翠山の姿などは分からないままだ。
 同室は「翠山の作品はほかにもたくさん残っていると思う。翠山に限らず、古い文書などがあればぜひ情報を寄せてほしい」と呼び掛けている。
 絵はがきは市立中央公民館で一部を展示している。