第1回マッカーサ元帥杯優勝の京都。永井氏は後列右から2人目。前列中央は田阪常雄氏(日本卓球協会発行「写真で見る日本卓球史」」より)

第1回マッカーサ元帥杯優勝の京都。永井氏は後列右から2人目。前列中央は田阪常雄氏(日本卓球協会発行「写真で見る日本卓球史」」より)

表面が平らの裏ソフトラバー。多くの選手が使用している

表面が平らの裏ソフトラバー。多くの選手が使用している

卓球ラケットのラバーの違い

卓球ラケットのラバーの違い

 球の動きを操り相手を困惑させる「回転戦術」は、今や卓球界で主流となった。手元から放たれる変幻自在の打球に大きく影響しているのが、摩擦力の大きい「裏ラバー」だ。多くのトップ選手に採用されている、この技術の発展に京都の先人が大きく寄与していたことはほとんど知られていない。現代卓球につながる新たな道を切り開いた先駆者たちに迫る。

 1950年発行の卓球専門誌「卓球界」に気になる投稿文が掲載されている。筆者は京都で活動していた故・永井達四郎氏。「これはすごい、卓球の革命?裏ラバーについて」と題し、こう書き出している。
 <ラバーの裏面を使用する奇妙な事を考へ出したのは私が元祖だと自負して居ります>
 戦後すぐに創設された都市対抗競技・マッカーサー元帥杯(47年)の初代王者に輝いた京都。永井はそのメンバーに名を連ねる。連覇を目指し、極秘に編み出した奇襲戦法が「裏ラバー」だったという。表面が平らで球と接触面積が大きく、回転をかけやすい特性に着目していた。
 <すごいループやカーブで相手を悩ますことが出来ると共に、又相手のよく切れたカットやドライブに調子が合わず途方に暮れることもあります。(中略)敵も自分も驚くような奇妙なボールとなります>
 それまでラケットに貼られていたゴム製シートを裏返すという単純な発想だが、卓球界の新たな扉を開く一歩となった。結果、京都は悲願の連覇を達成。その一方で、ストロークは難しくなり、若い選手が邪道に走る可能性があるとして「裏」の技術は他人に勧めなかったという。
 <一時猫も杓子も裏ラバーを使用することになりましたが何分此を完全にマスターするには半年は掛かるので殆(ほと)んどの人達がその使用困難に辟易(へきえき)して現在は中止している>
 大手卓球メーカーの製品開発担当が書き残した資料にも「裏ラバーは京都の永井が初めて実用化」「猛烈にスピンのかかったサービスの魔球と、独特のドライブボールで席巻した」などの記述がある。しかし、その功績をたどる史料はほとんど残っていない。
 卓球史に詳しい卓球コラムニストの伊藤条太さん=仙台市=は、昔は長靴やタイヤのチューブを裂いてラケットに貼ったとの逸話があるとし、「永井以外の選手も裏ラバーを試した可能性はある」と推察。一方、一定の戦績を残し、印刷物に記録があることから「裏ラバーの考案者は永井と考えて間違いないだろう」との見解を示している。