2011年3月の福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣の3被告に東京地裁が無罪を言い渡した。

 東電が引き起こした事故によって、8年半が過ぎても4万人以上が避難生活を送るなど、今も多くの人が影響に苦しんでいる。

 その原因をつくった経営トップは当然、刑事責任を問われるべきではないか-。多くの被災者がそう考えるのは当然だろう。

 しかし東京地裁は、東電社内の担当部署から上げられた津波予想は「信頼性がなく予想できなかった」「対策を取っても事故は防げなかった」という3人の主張を全面的に認め、過失責任なし、の判断を示した。

 被災者の納得を得られる判決だろうか。

 業務上過失が問われる裁判では「事故などを具体的に予見でき、必要な措置を講じれば避けられた」と立証できない限り刑事責任を問えない、という従来からの刑事裁判の判例を踏まえたものとみられる。

 刑事司法の前例に忠実であろうとするあまり、原発事故が引き起こした過酷な現実の責任を直視していないのではないか。

 過酷事故直視したか

 勝俣氏らは東京地検により2度不起訴となったが、市民で構成する検察審査会の議決によって強制起訴され、裁判が行われていた。

 争点は「大津波が来ることを予想できたか」「予想できたとしても事故を防ぐことはできたか」の2点にほぼ絞られた。

 検察官役の指定弁護士は、最大15・7メートルの津波が原発の敷地を襲う可能性があるとする東電子会社の試算と、その根拠となった国の地震予測「長期評価」をもとに、3人には津波を予想することができ、対策が完了するまで原発を停止すべきだったと指摘。不可能だったとする被告側と真っ向から対立した。

 これについて東京地裁は、国の長期評価は「十分な根拠があったとは言い難く、信頼性には限界があった」と指摘し、津波が襲来する可能性について3人は具体的な根拠を基に認識していたわけではなかったと判断した。

 その上で、原発の運転停止についても、法律に基づく運転停止命令や事故が発生していないのに、十分な対策をするまで運転を停止するのは、被告らの一存でできるものではない、と指摘した。

 勝俣氏らが情報収集を尽くすべきだったとする指定弁護士の指摘に対しても、判決は東電社内の明確な業務分掌を理由に、経営者といえども担当部署から上がってくる情報を再検討しなくていい状況だったとして退けた。

 企業が関わる大事故でトップの責任を問うことの難しさを示したといえるだろう。

 判決では「津波についてあらゆる可能性を想定し必要な措置を義務づければ、原発の運転は不可能になる。運転停止は地域社会に影響を与える」とした。

 事故が起きるまでは絶対的な安全を求められていなかった、という被告側の主張を認めているが、東電など電力会社は絶対安全を宣伝していたのではないか。原発事故で地域社会が破壊された今、説得力がある結論とは思えない。

 問われる経営の責任

 刑事責任は認定されなかったものの、勝俣氏ら3人は経営者としての責任から解放されたわけではない。

 そもそも安全神話に浸りきっていた経営者のあり方は厳しく問われるべきだ。

 福島原発事故の責任は約30件の民事訴訟でも争われている。「東電は津波を予見でき、事故を防げた」と評価した判決も多い。

 京都地裁も18年3月の民事訴訟判決で東電には津波とその被害について「予想できた」「事故を防ぐことはできた」と認めている。

 刑事裁判は個人の罪を問うため、疑いの余地のない厳格な責任の立証が求められる点が民事訴訟とは異なる。

 検察審査会の議決による強制起訴制度についてはさまざまな議論がある。

 専従捜査班まで作った検察が2度、罪に問えないと判断した過失を立証するのはそもそも困難で、強制起訴制度は当事者を不安にしただけ、という批判もある。

 しかし、強制起訴による裁判が開かれなければ闇に葬り去られていたことが次々と明らかになったのも事実だ。

 強制起訴で明らかに

 東電で津波対策を担う部門の担当者が勝俣氏ら3人に新たな津波対策の必要性を報告したという供述調書は検察がまとめたが、その存在は指定弁護士が法廷で読み上げて初めて明らかになった。

 津波対策を勝俣氏らが出席する「御前会議」で報告したという担当者の供述に対し、勝俣氏は「記憶にない」「勘違いじゃないか」と否定したが、むしろ責任感の乏しさを浮かび上がらせる結果になった。

 経営トップが法廷で証言する機会になったという点では、重要な意味があったといえるのではないか。