「90歳を超えて、自分の哲学を磨く時が来ている」。梅原猛さんの旺盛な好奇心と探究心は、老いをも寄せ付けなかった。時に、自身を「妖怪」と言っておどけ、周囲の笑いを誘った▼若き日、西田幾多郎や田辺元らの京都学派に憧れ、哲学を志す。その道は西田哲学をなぞるのではなく、どこまでも自ら思索し、深めること▼仏教や文学など思想・文化に関心を広げ、「大学者」と慕った漢字学者の白川静さんらに強い刺激を受けた。独創を支えたのは深く愛した「千年の都」の風土だろう▼本紙の連載「京都遊行」(1998年11月~2004年4月)は、計208回に及んだ。京都市内をはじめ丹後や山城を訪ね、秘められた歴史を掘り起こした。「現場に立ってこそ、初めて見えるものがある」▼古希を過ぎて登った鞍馬山では、鳥の鳴き声を聞きながら天狗(てんぐ)伝説に思いをはせた。鬼退治で知られる大江山でも風雨のなか、洞穴の「鬼の岩屋」で酒呑(しゅてん)童子を浮かべ、古(いにしえ)の時代と人間の心のありようを考えた▼「福は内 鬼も内」。請われると進んで色紙に書いた。内から激しく突き上げるような鬼の性(さが)を持っていないと、人は何かを創(つく)ることができない―と。その果敢な生き方は学術界だけでなく、京都全体にも影響を与えた。情熱と気骨の巨星が落ちた。