秋のお彼岸を迎え、京都や滋賀の墓地では、お参りの人たちが静かに手を合わせる姿がみられる。

 そうした光景と裏腹に、「無縁仏」が増えているのが気にかかる。家族や親族、地域とのつながりが希薄化している現実が、背景にあろう。

 加えて、年老いての孤独、貧困という深刻な問題も垣間見える。

 「無縁仏」に目を向け、新しい家族や地域、社会のあり方を考えてみる時ではないだろうか。

 8287柱。2018年度に全国20の政令指定都市が受け入れた無縁仏の数だ。身寄りがないだけでなく、遺族が引き取りを拒否したケースも少なくないという。

 最多は大阪市の2688柱で、京都市は260柱。政令市全体で13年度から右肩上がりで増えている。大半が生前に生活保護を受けており、大阪では9割、名古屋市や神戸市も8割前後を占める。

 厚生労働省の今年6月調査によると、生活保護を受けている高齢世帯は約89万強で全体の半数を超える。このうち9割超が単身だ。独り暮らしの貧困高齢者を孤独にしないサポートが必要だろう。

 生活保護を受けて亡くなると、自治体から「葬祭扶助」費が支給される。ただ、遺体を引き取る親族がおらず、民生委員らが葬儀を申請した場合だ。

 無縁仏は、自治体が遺骨を一定期間保管し、引き取り手が出てこなければ、公営霊園の納骨堂などで合葬される。年々数が増え、自治体の負担は重くなっているが、死者の尊厳を守ることは社会として大切にすべきだろう。

 無縁仏ではないが、後を継ぐ人が疎遠になって、墓が放置されるケースが多く見受けられる。こうした「無縁墓」の問題は、特に地方の過疎地で深刻だ。若者が都会に出た後、墓参は滞り、自分の墓を都会につくると打ち捨ててしまうことはままあることだ。

 墓を子々孫々で継承していくという意識は、薄くなってきている。核家族化が進み、さらに家族よりも個人の主体性を第一に考える傾向が強まっているのに合わせるかのように、血縁によらない墓が出てきている。

 市民が入る公営の共同墓や、高齢者どうしの交流から生まれた共同墓もある。

 引きこもりや孤独死が社会問題化しているが、一方で新しいつながりを求める動きもみられる。死者に手を合わせ、語りかける墓は、つながりの場ともいえないか。死者を思う、お彼岸である。