「本能寺の変」の原因を探った講座(近江八幡市安土町・県立安土城考古博物館)

「本能寺の変」の原因を探った講座(近江八幡市安土町・県立安土城考古博物館)

 明智光秀が、主君織田信長を討ち取った「本能寺の変」をテーマにした講座が20日、滋賀県近江八幡市安土町の県立安土城考古博物館であり、専門家が光秀の謀反の原因を探った。

 本能寺の変は1582年、羽柴秀吉の中国攻めを応援するため、光秀が亀山城(亀岡市)を出陣、途中で京都市の本能寺に向かい、宿泊していた信長を自害させた。

 県教育委員会文化財保護課の松下浩さんが講師を務め、謀反の原因とされる怨恨(えんこん)説や野望説、黒幕説、政争説を紹介。さらに、「信長の国家構想」についても触れ、「原因はこの構想から考えるのが重要だ」と話した。

 構想では、織田家の重臣には独立した大名として諸国を支配させ、家臣以外の戦国大名は信長に従えば、本領安堵(あんど)にする。「織田政権」が実現した場合、中央は信長側近が固め、地方は家臣に任せるという内容。「光秀は中枢にいたが、橋渡し役をしていた長宗我部氏の四国統一についての容認方針を信長に翻され、近江、丹波を離れる国替えを言われた。織田家内で立場や存在が低下し、謀反を起こしたのではないか」と指摘した。

 同博物館が主催し、約180人が聴講した。