ニュースクールの授業風景。子どもたちは各自が集中できるリラックスした姿勢で学んでいる=赤木准教授提供

ニュースクールの授業風景。子どもたちは各自が集中できるリラックスした姿勢で学んでいる=赤木准教授提供

「インクルーシブ教育では、一人一人の違いを前提としながらもつながることが重要」と語る赤木准教授(神戸市灘区・神戸大)

「インクルーシブ教育では、一人一人の違いを前提としながらもつながることが重要」と語る赤木准教授(神戸市灘区・神戸大)

 子どもたちが障害などのあるなしにかかわらず一緒に学べる場を保障する「インクルーシブ教育」について、さまざまな障害や国籍の子どもが同じ空間で学ぶ米国ニューヨーク州の学校「The New School」(以下、ニュースクール)を調査研究した神戸大の赤木和重准教授(発達心理学)にインタビューした。ユニークな教育を受ける子どもたちの姿を通して、日本の教室のあり方を考える。

■優劣つけず、主人公になれる時間

 -ニュースクールの概要について教えてください。

 インクルーシブ教育の先進地とされる街シラキュースの中でも特徴的な私立学校で、1988年に設立された。日本でいうと年長児から中2までの8学年が通う。2015年度は32人が在籍し、障害などで特別なニーズを持つ子どもは全体の4分の1程度。知的障害のある子どもたちもともに学んでいた。

 全体のうち4割は教育理念に共感して通っていた。残り6割が公立学校になじみにくい子どもたちだった。娘は私の研究のために1年間現地で暮らすことになったが、最初に通った公立小では言葉や文化の壁で通いづらくなり、ニュースクールに転校した。

 -教育システムは。

 流動的異年齢教育と言える。学年ごとの一律のカリキュラムはなく、教員が一人一人に応じた学習計画を毎週作成する。「Aちゃんと数独をする」「B先生の授業で、古代インドの歴史について10人で調べ学習をする」など、どの時間に誰と何をするかを、その子の状況や理解度に応じて柔軟に決める。調べ学習で学びを深める授業が多いのが特徴の一つ。校舎内に部屋は五つあり、学ぶ内容や人数に応じて利用する部屋を変えていた。

 -ニュースクールの教育システムの意義は。

 同学年の子どもたちが同じ内容を学習し、同じ基準で評価を受けるという一般的な教育制度では優劣が付きやすく、子どもたち自身も他者との比較の中で自分を評価する傾向が強まる。一方、ニュースクールは個別カリキュラムのため、障害などによる「できなさ」が目立たず、本人の自己肯定感が低くならない。異年齢教育は子どもの社会性の発達を促す利点もある。

 なぜこのような教育を行うようになったのか教員に尋ねると、「どの子もバカって思われたくないよね」と返ってきた。障害のあるなしや年齢にかかわらず、自分が他人よりも劣っていると思ったり、思われたりしたくはないものだ。一人一人の尊厳を大切することが教育方針の根底にあると考えている。

 娘の場合は、英語ができないために学校で取り残されないか心配だった。入学後しばらくは学習計画に「Cちゃんと折り紙をする」というプログラムがあった。教員は「娘さんは折り紙が得意なので、英語が不得意でも他の子どもに折り紙を教えて主人公になれる機会をつくった」と説明してくれた。一対一で学ぶことで相手をよく知り、安心して過ごせるようにすることも狙いのようだった。

■「日本でも将来広まる」

 -日本の一般的なカリキュラムとは随分異なる。

 日本の現行の教育制度で障害の有無に関係なく一緒の空間で学ぶのは、子どもも教員も負担が大きく容易ではない。インクルーシブ教育を進めるならばシステムを変える必要がある。

 学年ごとの一斉指導の方が効率的という指摘もあるだろう。だが本当にそうか疑ってみたい。ニュースクールのフルタイムの教員は3人で多くはない。公立小でマンツーマン指導を受けていた子どもが、ニュースクールではその必要がなくなったというケースもある。特徴的なのは、多様な背景の子どもたちがともに過ごすことで、互いを認め合い、違いによる不具合をカバーするために工夫しようとする力が育っていることだ。一斉指導では得られにくい学びだと思う。

 -日本で取り入れられる余地はあるか。

 主流にはならないかもしれないが、遠くない将来に広まると考えている。日本の複数の保育・教育学者がニュースクールのような教育に注目し、実践する動きがあるからだ。公教育に目を向けると、不適応などを理由に通常学級から特別支援学級に転籍する子どもが増えている。通常学級のあり方を問い直すことが、インクルーシブ教育への大きな一歩になるだろう。

 あかぎ・かずしげ 京都大教育学部卒。特別支援教育も専門。2015年から1年間、シラキュース大でインクルーシブ教育などを研究。その内容をまとめた著書「アメリカの教室に入ってみた」(ひとなる書房)がある。