1918年11月11日に「今晩から少しこはくなる」と揺れる胸中が記されている(京都市下京区・徳正寺)

1918年11月11日に「今晩から少しこはくなる」と揺れる胸中が記されている(京都市下京区・徳正寺)

野田正子さん(扉野さん提供)

野田正子さん(扉野さん提供)

 大正期に流行したスペイン風邪で揺れる京都での日々を、12歳の少女が記した日記が見つかった。多数の死者が出た1918年11月前後に周囲で病人や死者がいることを記し、父が不在の夜に「今晩から少しこはくなる」と、不安な胸の内を刻んでいる。コロナ禍との類似が指摘される100年前のパンデミック(世界的大流行)の実像を知る上で貴重な史料と、専門家は評価する。

 日記は徳正寺(下京区)で生まれた野田正子さん(1906~98年)が、京都市立高等女学校(現・堀川高)に入学した18年の5月から22年9月まで記している。徳正寺住職の扉野良人さん(48)が2017年に境内の納骨堂で、大伯母に当たる野田さんの日記6冊を見つけた。今年に入ってのコロナ禍で扉野さんが日記を再読し、関連記述を見つけた。

 1918年10月22日にスペイン風邪とみられる記述が登場する。〈この頃は大変いやな風が流行するので先生も父母も私に気を付けよとおつしやる〉と記す。

 11月2日には〈此頃大層風が流行るから学校は今日から四日間お休みになった、学校は二百六十四人程の欠席者があつた〉と身近に迫る感染を伝える。

 同月10日には、お茶の稽古で2人が病欠したことが書かれ、その翌日の11日、〈夜父は広島へおこしになつた。今晩から少しこはくなる〉と心細さを明かす。扉野さんは「単に父の不在への不安というより、少女が漠然とした死への恐れを抱いている」とみる。

 翌12日には〈此頃新聞を見ると黒枠の広告が沢山ついてゐる〉と死亡広告の増加に触れ、友人の母が亡くなって生徒を代表してお悔やみに訪問したことを記している。

 コロナ禍の収束が見えない中、扉野さんは「100年前の社会を知ることが指針になる」と日記の一部を翻刻した。「野田正子日記抄」として、神戸市在住の詩人季村敏夫さんが発行する個人誌「河口から」に掲載される。6月1日から書店「メリーゴーランド京都」(下京区)のオンライン販売で購入できる。千円。同書店075(352)5408。

■まさに京都版アンネの日記

国際日本文化研究センターの磯田道史准教授(日本史学)の話  大正期京都の日記は多くが大人の男性のものだ。子ども目線で時事問題まで記した日記は珍しい。「武士の家計簿」の古文書の発見時と同じぐらい興奮した。しかも記録の乏しいスペイン風邪の記述もある。1918年10月からの第2波で京都は全国最高の死亡率を記録した。お茶の稽古を病欠する友人や祖父の死など当時の生活・文化・世相が活写されている。まさに京都版アンネの日記。京都生活史の一級史料だ。