彼らもそんな年ごろか、と感じたオール阪神・巨人さんの紫綬褒章受章である。上方漫才では、「いとし・こいし」「大助・花子」に続く3組目。兄弟や夫婦でないコンビ初の快挙となった▼我の強い芸人さんの世界で、仲間割れは珍しくない。相方がアクシデントに遭う可能性もある。何より売れなければ、舞台に立てない。どうやって、40年以上もコンビを続けられたのか▼「真面目、真っすぐ。老若男女に笑っていただけるネタを作ってきた」と巨人さんは振り返る。稽古に明け暮れ、1980年ごろの漫才ブームでは「ギャグ的漫才」に手を出さず、「しゃべくり」に徹した▼劇場で使うネタは、テレビでやらない。足を運び、お金を払うお客さんを大切にした。40代でやめたい思いもあったが、その時は阪神さんが、借金と離婚で「もうちょっとやってくれへん。返さなあかんねん」と言いだしたそうだ▼ともに師匠は、亡くなった吉本新喜劇の岡八郎(後に八朗)さんで、その師匠は花菱アチャコさん。上方が誇るお笑いの系譜も2人を後押ししたのかもしれない▼巨人さんは近著で「どこが面白いのか分からなかった大先輩の漫才が、面白くて仕方がない」と語る。年を経て、見えてくるものがあるのだろう。円熟のボケとツッコミを、見続けたい。