琵琶湖へ穏やかに流れる今日の光景からは想像できないが、野洲川はかつて「近江太郎」の異名を取る湖国随一の暴れ川だった。特に南流と北流に分かれた下流域は頻繁に洪水に襲われた▼1953年には台風による氾濫で堤防4カ所が決壊、水防中の3人が落命した。それを機に両流を一本化する計画が浮上。紆余(うよ)曲折を経て新川を造る工事が79年に完成し、6月2日で通水から40年になる▼新川は中州の村を貫通し、民家の集団移転や農地の提供を強いた。「皆多くの思いがあったが命には替えられないと同意した」。当時消防団員だった斎藤傳三さん(81)は振り返る▼尊い犠牲により安全な野洲川があることを忘れまい、と地元の守山市などで関連行事が相次ぐ。青年団と共に紙芝居を作った服部将則さん(51)は「ふるさとの大切な歴史を伝えたい」と話す▼田村喜子著「野洲川物語」は水害と改修に翻弄(ほんろう)された人々の葛藤を描く。母なる川の「大手術」を住民らが苦悩しつつも決断した背景には「自分の世代の責任を果たす」の思いがあった▼河畔の神社にはタニシがご神体を水難から守ったとの伝説が残る。人々はタニシを食すことを禁じ、食糧難の戦時中も守り通したという。出水期を前に、先人が持った自然への畏怖(いふ)と感謝の念を心にとめたい。