芦田均元首相は履歴書に「文筆業」と書いたという。膨大な日記が有名だが、多数の著書、評論を残した。遺作となった「第二次世界大戦外交史」は命懸けの執筆だった▼病に侵され、友人の協力も得て完成のめどが付いたのは亡くなる1カ月ほど前。<出来上がったことは芦田均にとってどんなに仕合わせであるか。だが、これが解(わか)らない人も多いだろう>(芦田均日記第7巻)と喜んだ▼外交官だった芦田は満州事変をきっかけに国際社会で孤立を深める日本を憂い、1932年に政治家に転じた。議会で軍部追随の外交を批判し終戦後はリベラリストとして存在感を増す▼今月20日に没後60年の命日を迎える。福知山市宮の生家跡にある記念館で芦田の足跡をたどることができる。近くの井上敏夫さん(99)には思い出す場面がある▼戦時の42年、翼賛選挙に非推薦で立った芦田の演説を舞鶴で聞いた。「戦争はいかん」。立ち会いの警官に警告を受けながらも毅然(きぜん)と続けたという。「外交での解決を訴えていた。実直な方でした」と井上さん▼なぜ、無謀な戦争に突入したのか。日本が破滅に向かった原因を「軍閥と素質粗悪な外交家」などと外交史に記す。後世に伝える責任を感じたのだろう。千ページ超の大作を繰れば芦田の思いに近づけるかもしれない。