その名優の祇園祭の思い出は、妻と出掛けた宵山という。大勢の見物客の流れに溶け込み、人目を気にせず手をつないで歩いた。<幸せをしみじみと感じるような、生まれて初めての宵山情緒だった>。自著でこうつづる▼映画黄金期の大スター、市川雷蔵である。前祭(さきまつり)の山鉾巡行のきょうは、没後50年の命日▼京都で生まれ京都に暮らし、37歳で早世するまで160本近い出演作を残す。ニヒルな無頼の徒、軽やかな色男、文芸作品の苦悩する青年…。役柄は幅広く「その役の色に自分を染めた」との評も。凜(りん)とした男の色気と気品に“雷さま”と憧れたファンは多かった。人気者に注がれる視線はさぞ熱かっただろう▼雷蔵亡き後、映画界は陰りを増す。所属した大映が倒産、製作も減り娯楽の主役はテレビへ。そのテレビもスマホの相次ぐ攻勢に顔色を失うなど、映像メディアは様変わりした▼そんな時流を超える雷蔵の言葉がある。演技づくりの学校はこの社会、世間であるとし、<路傍の一木一草でも演技者の学問の種でないものはない>。社会の隅々から学ぶ姿勢を、同志社大の特別講義で若者たちに語った▼周囲の変化に目を凝らし、声なき声を聴く。これは多くの仕事に通じよう。近づく参院選の投票も雷蔵の言葉に依(よ)って候補者を選ぶのもいい。