かつて怒りのヒロシマ、祈りのナガサキとよく対比された。二つの被爆地での平和運動の姿勢を示した表現である。率直に核兵器廃絶や平和を訴えてきた広島。片や長崎はカトリック信者の聖地をも壊滅されながら、静かに祈る印象が強い▼74年前のきょう、不条理にも広島への人類史上初の原爆投下がおびただしい命を散らせた。その年末までに推定14万人が亡くなり、被爆者は今も放射線による健康不安に苦しんでいる▼<おかっぱの頭から流るる血しぶきに妹抱きて母は阿修羅(あしゅら)に>。5歳で被爆した東京都文京区の村山季美枝さん(79)が詠む惨状に言葉を失う。松井一実広島市長が今年の平和宣言に引用し、被爆の実像を発信する▼併せて、国連の核兵器禁止条約を拒み続ける日本政府に対し、初めて署名と批准を求めるという。唯一の戦争被爆国であるのに条約に距離を置く安倍晋三政権に、国内外の落胆は大きい。被爆者の訴えを代弁するのは当然だろう▼核兵器の非人道性を最も知っているのは日本ではないか。被爆者の高齢化が急速に進み、記憶の風化が懸念される今こそ、日本は核廃絶の先頭に立たねばならないはずだ▼怒りと祈り―核廃絶への道筋は異なっても「原爆許すまじ」の思いは同じ。どう核兵器と向き合うのかを考える日にしたい。