「人間ができるんですよ…自然が有機的に生み出したものをわれわれは合成させて作るんです」。ゲーテの悲劇「ファウスト」でファウスト博士の助手ヴァーグナーが得々と語る▼フラスコに材料を調合・蒸留して誕生したのは人造人間ホムンクルス。中世の錬金術師は貴金属だけでなく人間までも作ろうとした。iPS細胞やゲノム編集など現代の生命科学につながる発想だ▼作中のホムンクルスは真の人間になりきれないことを悩み、「万物は水」と主張した古代ギリシャの哲学者タレスに導かれ、進化をたどり直すように海に溶けていく▼ドイツの文豪ゲーテは28日、生誕270年を迎える。自然科学者でもあり、動植物の形態論や色彩研究で成果を残した。黎明(れいめい)期の近代科学が多様な自然現象を法則や数式に還元し、計器の数値を重視し人の感覚を退けたことを強く批判した▼「生きた自然の中では、全体と結びついていないものは何も起こらない」。自然と人間、芸術が調和した思想は、機械が社会の中心になり人が排除されつつある今、再評価の機運にある▼「瞬間よとどまれ、お前は実に美しい」。悪魔に魂を委ねたファウストの滅びの言葉だが、果てしなき欲望は現代文明そのものだ。その先に何があるのか、ゲーテの思想に立ち戻って考えたい。