きたはら・もこっとぅなし 1976年生まれ。アイヌ宗教文化、アイヌ語、口承文芸を当事者の立場から研究。アイヌ民族博物館などを経て現職。漫画「ゴールデンカムイ」監修。著書に「アイヌの祭具イナウの研究」など。

 アイヌ民族を描いた漫画がヒットし、これまでアイヌに関心のなかった人にも認知されるようになった。人気の理由は、ひとつには作中に描かれるアイヌ語や工芸、食などから漂う「異世界」の雰囲気か。

 アイヌとの接点は、そうした異世界的な装いではなく、何気ない風情で京都の生活の中にもある。例えば昆布やにしんそば。近世の北海道では昆布やニシンが豊富に採れ、日本海航路を経て京都の食文化に加わった。ニシンを煮立てて圧搾し油をとった搾りかすは、良質の肥料となり畿内の綿花栽培を促進した。流通した木綿はアイヌのもとへ至り、アイヌの服飾文化をより豊かにした。

 アイヌの衣服といえば、樹皮の繊維を織ったアットゥシがある。これら自然布による衣服は各地にあり、京都の藤布(ふじふ)や岡山の葛布(くずふ)もこれにあたる。衽(おくみ)がない捩(もじ)り袖の仕立てはアイヌ・和人双方に共通するが、アイヌは袖や裾などに装飾をする。

 漁場労働や海運に従事した和人も愛用し、国元へ持ち帰られると、異国情緒漂う物として珍しがられた。衣服に絡めれば、祇園祭の山鉾の装飾に用いられた中国製の絹衣も、アイヌを介してもたらされた。

 古い話ばかりではない。1934年に京都競馬倶楽部(くらぶ)で騎手となり、調教師として80年代まで名馬を育てた小川佐助は、北海道浦河町出身。北海道アイヌ協会(後にウタリ協会に改称し再度アイヌ協会に改称)の常務理事でもあった。忘れられないのは、2003年に亡くなったチュプチセコル氏。山科区で駄菓子屋を営みつつメディアによるアイヌ表象の差別性を研究・発信していた。

 戦前からの映画や漫画、ゲーム等はしばしばアイヌを描いてきた。歴史を通じてアイヌと和人は地続きの世界に暮らしてきたし、明治以降は同じ国の国民として歩んできた。

 ではメディアは、同じ日本に暮らす市民として、共同で文化を育んだか。作り手はもっぱら和人、彼らはアイヌを一貫して他者と位置づけ、時局の求めに応じ「愛すべき、しかし悲しき自然児」として消費してきた。作中のアイヌも、現実でそれを享受するアイヌも日本社会からはまともに遇されず、ある者は和人の期待に応え、ある者は反発して「自然児たるアイヌ」は消滅したと叫んできた。アイヌにそうした反応を強いながら、まるで無自覚なメディアの姿勢を、同氏は鋭く指摘したのだ。

 今年、国策で北海道に民族共生象徴空間施設(愛称ウポポイ)が開業する。共生実現が使命のこの施設では、和人は単なる異文化体験ではなく、ふれあいを通じ、自らを省みることが求められる。(北海道大アイヌ・先住民研究センター准教授)