8月までの展覧会「麗しき青磁・鮮やかなる青花」に並ぶ青花牡丹文水柱(19世紀)

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 芸術・文化の何が人の心を動かすのか。高麗美術館(京都市北区)代表理事の鄭喜斗(テイキト)さんは昨年3月、母の呉連順さんを亡くした。父の鄭詔文さんが開館した美術館で、母は30年間、理事長を務めた。館蔵品のほとんどに母の思い出がこもる。

 「映画監督が亡くなっても作品は残るように、美術品は関わった人の思い出を残してくれる」。母が亡くなった当初は作品を見て寂しさや悲しみを感じたが、今は温かな思い出がよみがえる。その品が家に置かれていた時、中に子猫を隠してしかられたことなど。

 美術品は歴史上の記憶も残す。同館所蔵の「朝鮮通信使絵巻」(「朝鮮信使参着帰路図」「宗対馬守護行帰路行列図」)は1711年に来日した朝鮮通信使を描き、尾張徳川家に納められた品だ。幕末、同家の姫が京都の近衛家に輿(こし)入れする道具類の中にあったとされ、1970年代、父が美術商から購入した。

 購入時、朝鮮通信使という歴史的事実を知る人は日本国内にほとんどおらず、美術商も「何かよく分からないが、朝鮮の人の行列の絵」と話した。江戸時代に何度も対馬―江戸間を往復したというのに、近現代以降の日本と朝鮮半島の関係悪化で、記憶が封じられたのだろう。

朝鮮信使参着帰路図(部分)江戸時代中期

 絵巻が描かれた直接の目的は幕府の財政再建だったという。当時、新井白石の改革「正徳の治」が進行中。白石は、毎回膨大にかかっていた通信使接待の経費を削減しようと、人数や馬の頭数も含め、詳細が分かる絵を対馬藩に描かせた。現代でいう資料写真だ。それゆえに絵巻は美術品としてだけでなく、史料としても優れていた。

 絵巻の発見は朝鮮通信使の存在を知らせる映画製作にも結びついた。80年代、映画をきっかけに通信使の記憶は掘り起こされ、2017年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」にも登録された。今は交流の歴史を知る人も多い。

 見学に訪れた学生に「朝鮮通信使のメリットは」と聞かれ、鄭さんが「メリットがあるから仲良くするのではない。仲良くすることが全て」と答えると、学生の目が輝いたという。両国の歴史を学び、新たな関係を築く上でも、作品が語る力は大きい。

 

 高麗美術館 日本で唯一の韓国・朝鮮専門の美術館。表札の文字を書いたのは小説家司馬遼太郎。創設には在日朝鮮人と日本人研究者、小説家らが協力した。8月18日までの展覧会「麗しき青磁・鮮やかなる青花」では、高麗(こうらい)時代の青磁と朝鮮時代の青花を展示する。青磁と青花の器が会場で見事な対照を見せ、牡丹(ぼたん)の花の描き方一つでも、主眼の置き方が様式と写実に分かれるなど、表現の違いが楽しめる。現在は臨時休館中。京都市北区紫竹上岸町。075(491)1192。