「引き揚げの母」と呼ばれた故田端ハナさんが記す。<やっと船体がはっきり見え、私達の目の前に船がつきました。「お帰りなさい」>(「平の引揚桟橋は語る」)。舞鶴に最初の引き揚げ船が入港したのは1945年10月7日のことである▼帰還者の悲痛な姿に田端さんは誓う。「精いっぱい温かく迎えよう」。以来13年間で66万人、遺骨1万6千柱を迎えた。「長い間ご苦労さまでした」と呼び掛け、サツマイモをふかして手渡した▼地元の大浦中(現若浦中)の生徒は「引揚者を迎える歌」で歓迎した。曲の詳細は不明だったが、卒業生から歌詞や本人が録音したテープが舞鶴引揚記念館に寄贈された▼無事を祈り待ちわびる心情が込められている。歌の復活へ向け今夏、若浦中生徒会は卒業生から出迎えの様子を聞いた。食べるのも大変な時代に心を尽くしてもてなした人たち。5日の平和祈念式典で全校生徒が合唱し思いをはせた▼きょうは「舞鶴引き揚げの日」。舞鶴市が昨年、条例でまちの歴史として刻んだ。引き揚げやシベリア抑留の史実を後世に伝えていく。「一つ一つの取り組みを丁寧につなぐことが大切」と記念館の山下美晴館長▼<平和こそ最上の宝であり子孫への遺産であります>。手記に残る田端さんの決意は若い世代と響き合う。