■堕ろした「弱み」、今も苦悶

京都府立大で1971年に開かれた第1回全国ろうあ婦人集会報告書『太陽の輝きをいま』(全日本ろうあ連盟発行)より

 1971年11月、京都府立大(京都市左京区)で開催された第1回全国ろうあ婦人集会で、ある聴覚障害者の夫妻にまつわる悲劇が報告された。妻が盲腸の手術を受けた際、親族の意向で不妊手術が勝手に行われ、後日、事実を知った夫妻は苦悩し、片方が自殺に追い込まれた。翌年以降の集会でも、子どもを産めなくされた不条理を手話で語るろう者がいた。

 「私だけじゃない。みんな苦しかったんだ」

 中絶を強要された70代の女性は気持ちが軽くなった。ただ自身は沈黙を破ることはなかった。

 「それはおかしいという運動は起こらなかった。お互いが個人の問題として処理していたのだと思う。権利とか、自分は自分だという運動が始まったのは私たちの下の世代から。子どもを堕(お)ろしたことは言えない。私の弱みですから」

■苦しくて苦しくて。逃れたかった。私は弱かった。もう全てを忘れたい。

 優生保護法という法律があったことは昨年に初めて知った。国家賠償請求訴訟を起こした兵庫県のろう者の夫妻は勇気があると思う。だからといって自分の経験を語る気にはなれない。全日本ろうあ連盟(東京都)の実態調査にも応じない。「ろうの世界にも産んだら偉い、産まないのは駄目という価値観がある」。「どうして産まなかったの」と聞かれる光景を想像すると、下に見られているようでつらい。

 開会中の通常国会で、優生保護法の被害者救済法案を与野党が提案する見通しだ。おわびと補償の対象は不妊手術や放射線照射による不妊化措置を受けさせられた人にとどまり、女性が経験した中絶は対象外となる可能性がある。

 「もういいです、もういい。私は謝罪もお金も要らない。そんな法律があったなんて知らなかったけれど、最終的に堕ろしたのは私」

 胸をかきむしるように5本指をぐるぐると回して苦悶(くもん)の表情を浮かべて、「あの時は本当に苦しくて苦しくて。とにかく逃れたかった。私は弱かった。もう全てを忘れたい。つらい過去を早く忘れて、前向きに生きたいと思ってやってきたのです」。

 1時間に及んだ証言。女性は気持ちを落ち着かせて、冷めたコーヒーを飲み干した。「私も高齢だから、匿名を条件に一度だけ話しておこうと決めた。ろうの世界は狭い。私の名前は連盟にも黙っておいてほしい」と言って店を出た。 国や社会が問われるべき責任を、一人で背負い込んでこられたのだろう。帰路につくきゃしゃな後ろ姿がより小さく見えた。