■もういい。構わない。仕方ない

人形を前に手話で語る勝楽さん(右)と大矢さん=2018年12月28日、兵庫県洲本市・特別養護老人ホーム淡路ふくろうの郷

 ロビーの机の上に少女の人形が4体。ドレスやアクセサリー、髪飾り、帽子でおめかしをし、西洋のお嬢様のようだ。「かわいいでしょ。私が作ったの」。兵庫県の淡路島にある特別養護老人ホームで、入居者の勝楽佐代子さん(89)がにこやかに笑った。

 勝楽さんは舞鶴市で生まれた。幼いころから耳が聞こえず京都府立聾(ろう)学校に入学したが、小学部を卒業する直前に「空襲がきたら危ない」との理由で学校は休校となった。舞鶴に戻り、28歳の時までじゅうたんに花の絵を刺しゅうする仕事に就き、裁縫の腕を磨いた。

 1960年、広島市で開かれた全国ろうあ者大会で、ろう者で同い年の進さんと知り合った。「私の方が好きになった。健康そうでいい人だなと思って」。当時30歳。会場で住所を交換し、文通で愛を育んだ。

 縁談がまとまると、母親に何も知らされないまま婦人科へ連れて行かれた。診察室で医師から「あなたなら10人は産めます」と太鼓判を押され、恥じらいながら「そんなにたくさんは要りません。子どもは2人でいいです」と応じた。

 ところが、母親は「子どもをつくっちゃ駄目」と言い出す。受け流そうとしても、来る日も来る日も「駄目」と繰り返す。根負けし、理由が分からないまま子作りしないことを約束させられた。

 兵庫県の進さんのもとへ嫁ぐと、今度は進さんが義弟に促されて病院へ。女性看護師4人がいきなり両手足を押さえつけてズボンを下ろし、医師がパイプカットをした。

 進さんは帰宅後、激痛に顔をしかめながら「子どもをつくれなくなった。駄目になった」と打ち明けた。しばらくして不妊手術は義父が指示していたと分かった。勝楽さんは「親同士が話をしたのだな」と察した。

 平日はそれぞれ働き、休日になると人形作りに打ち込んだ。進さんが拾ってきたウイスキーの空き瓶を芯に使い、勝楽さんがレースや布を自在に縫い合わせて服に仕立てた。

 2006年4月にホームに入居した際、50体の人形を運び入れ、ロビーの机の上に並べた。進さんは、驚く大矢暹(すすむ)理事長(71)に「僕の子どもだ」と告げた。持参した日本酒「剣菱」の瓶を机に勢いよく置いて「一緒に飲もう。コップを持ってこい。話はそれからだ」。

■諦めの手話に込もる思い

 勝楽さんは、夫妻との出会いを振り返る大矢さんの手話に相づちを打ち、当時を懐かしんでいるようだ。

 「進さんが断種されたことをどう思いますか」と質問した。

 勝楽さんは小指をあごに当てる。「もういい」「構わない」「仕方ない」と諦めを意味する手話だ。何度理由を尋ねても、勝楽さんの小指はあごに向かう。「子どもは2人ほしかったんですよね」と持ちかけても変わらなかった。

 過去を割り切れているのならば50体もの人形を作るはずがない。それなのに、なぜ? 困惑していると、見かねたように大矢さんが間に入った。「『構わない』『仕方ない』には複雑な思いが全部入っています。そう言わざるを得ない背景に、骨の髄まで我慢を強いられた時代があった。私はそう解釈すべきだと思います」