■知らなかった法の存在。不条理強いる家族の背後に国がいた

勝楽佐代子さん(右)と4年前に亡くなった夫の進さん夫妻

 舞鶴市出身の勝楽佐代子さん(89)は、夫の進さんが断種された不条理に、怒ることさえ諦めざるを得なかったのかもしれない。夫妻は当時、強制不妊手術を認めていた優生保護法を知っていたのだろうか。手話通訳士が手話で問いかけるが、反応はない。

 今度は大矢暹(すすむ)理事長(71)がうなった。「勝楽さんには法律という概念がない。不妊手術のバックに優生保護法という法律があったことを説明できず、私たちも困っているのです」

 人さし指と中指ではさみの形をつくり、おへその左右を同時に切る手話は「断種」を意味し、男女を問わず高齢ろう者の間で使われてきた。昨年5月、全国手話研修センター日本手話研究所(京都市右京区)が、「良い」「遺伝子」「守る」「法」を組み合わせた標準手話をつくるまで、同法を意味する手話は存在しなかった。

 このことは、耳の聞こえない被害者たちがこれまで断種や中絶を強いる家族の背後に国がいた事実を認識できずにいたことを象徴している。「親を責めたくない」との理由で被害を言い出せない人もいる。

 「遺伝子を意味するらせん状の手の動きを見ても、勝楽さんは毛糸のひもがよれていると思うでしょう」

 大矢さんは、京都府立聾(ろう)学校高等部で生徒会長を務めた。2004年に兵庫県に移住し、聴覚障害者が安心して暮らせる「淡路ふくろうの郷」建設に取り組むまで、京都で長年、ろうあ運動に携わった。

 「いつもヒステリーを起こすのは手術をやったからだ」と被害者を侮蔑(ぶべつ)したろう者がいる。鋭い視線で体験を大矢さんにだけ打ち明けた女性がいる。交際相手が断種されたと知り、家族を相手取って裁判を起こす寸前までいった人もいる。「みんなの問題にできず、ずっと僕の心の澱(おり)になってたまっていた」

 過去を変えることはできないと思っていた。だが、昨年の宮城県での国家賠償請求訴訟をきっかけに優生保護法という法律があったことを知り、「トンネルの中に一筋の光が見えた」。

 「裁判で一人一人の尊厳が回復される道があると分かった。立ち上がったら過去を変えられる。京都でも一人、二人が立ち上がると次々に出てくると思う」

■立ち上がる被害者が光に

 気がつくと、勝楽さんはうつらうつらとしていた。今年の夏で90歳を迎えるのだから無理もない。進さんが4年前に85歳で亡くなってからは、自身がバトンを受け継ぎ、実名で証言を続けてきた。机の上に広げられたアルバムのモノクロ写真には、日本三景の一つ、宮津市の天橋立で肩を寄せ合う夫妻の姿が写っていた。