■断種する人間、あぶり出す

優先保護法による強制不妊手術の流れ

 優生保護法(1948~96年)の下、国や都道府県は障害者らを「不良」な生命と差別し、強制不妊手術を推し進めた。少なくとも全国で1万6475人、滋賀で282人、京都95人に生殖能力を奪う断種を強いた。

 京滋に残る公文書をめくると、行政機関の当時の考えが浮かび上がる。

 「優生手術の申請は極めて少なく、精神障害者は年々増加傾向にあって誠に憂慮に堪えない。不良な子孫の出生が相当多数に上ると推定される」

 55年1月、京都府衛生部長が各病院長に宛てた通知だ。精神科病院に入院する患者数の1割が手術の対象者になると見解を示し、「社会福祉に貢献していただきたい」と手術件数を増やすよう求めている。

 滋賀県にも69年12月、精神科病院に向けた「優生手術該当者の申請依頼」の文書がある。手術の適否を判断する県優生保護審査会の開催を翌年2月に控えて、「貴病院における該当者について調査の上、保健所長に提出願います」。任意の申請を待つのではなく、断種する人間をあぶり出そうとしていた。

■子どもが同じ障害だったら困るやろ。悪意があったわけじゃないよ

滋賀県の係長時代の強制不妊手術に関する公文書を手に取る男性。「昔のことで覚えていない」という

 当時、行政職員はどのような認識だったのか。

 滋賀県湖東地域に住む男性(90)は50年ほど前、県医務予防課で優生保護法の担当係長をしていた。自宅を訪ねて、証言に耳を澄ませた。「精神薄弱(知的障害の当時の呼称)の人を増やしたらあかん、という考えはあったと思う」「家族がいろいろと心配して手術をしたんじゃないかな」

 だが、詳細を聞こうとしても「昔のことやし、よく覚えてへんなあ」と言葉がはね返ってくる。手術の審査に関する県の記録を見せた。男性の印鑑が押され、国が禁じた書面だけの持ち回り審査の記述もある。それでも記憶はよみがえらない。

 半世紀前だから思い出せない、わけではなかった。男性が同法の後に担当した滋賀医科大の誘致話に水を向けると、話が急に輪郭を帯びた。「月に何度も東京に行って、文部省(当時)の役人を新橋の料亭で接待した。群馬までタクシーで帰る人もいた」「県知事や京都府立医大の先生にも足を運んでもらった」

 傾けた熱量の差なのか。「優生保護法の仕事は重要な方じゃなかったと思うで」。県職員の間で、断種が人権侵害だと議論になった記憶はないという。

 「子どもが生まれて、同じ障害だったら困るやろ。みんな、悪意があって手術させたわけじゃないよ」

 公益のため、家族のため―。「善意」の名の下に、子を産む権利を奪われる人たちの苦痛に目を向けなかったのか。男性から答えは聞けなかった。