■自由を束縛されず、頑張らなければ人生が駄目になる

勉ちゃん一家が暮らした街(2月1日、滋賀県湖北地域)

 「生む権利はわれらに!」

 滋賀県ろうあ協会の機関紙「湖国ローアニュース」昭和48(1973)年新春号に見出しが躍った。障害を理由に子どもを産ませようとしない社会の不条理を訴えるコラムだった。

 書いたのは石野富志三郎さん(66)=大津市。現在は、全日本ろうあ連盟(東京都)の理事長として優生保護法(1948~96年)下で不妊手術や中絶を強いられた聴覚障害者の実態調査を主導している。「勉(つとむ)ちゃんの存在は大きかった」。コラムに登場する夫婦の子が活動の原点だったと振り返った。

 機関紙記者だった20歳のころ、滋賀県湖北地域に住む七つか八つ年上のろう者の男性から相談を受けたことがある。家族から子どもをつくらないことを条件に、ろう者の女性との結婚を許されたものの、しばらくして妊娠が分かり、双方の家族から「早く堕(お)ろせ」と迫られていた。

 国は当時、「ろう」など複数の疾患や障害を「不良」と位置づけ、生殖機能を奪う断種や中絶を推進した。障害者を支える社会の仕組みが乏しいために、家族まで「障害があるのは不幸だ」と思い込んだ。

 「産むべきだ」。石野さんは疑問を持たなかった。親を説得するため湖北地域に向かった。3歳の頃、高熱を抑えるための薬が原因で聴力を失っていた。ボランティアが少ない時代に、初級レベルの手話通訳者が協力してくれた。

 「絶対産むな」。親は譲らない。「生活が苦しくなるぞ。言葉を教えられないのにどうするつもりだ」。脅しともとれる言葉が続く。何度も通った。そのうちに門前払いになった。

 「親と縁を切ってもいい」。妻はおなかに宿る命を守りたい。「そうだね」。男性も決心した。

 湖国ローアニュースがいきさつを取り上げた。「愛の結晶をつかもうとする姿に感動」と石野さんは率直にぶつけた。愛し合って結婚したのに、「自由を束縛されず、頑張らなければ人生が駄目になる」と訴える夫、妊娠7カ月の妻の姿。「基本的人権とは何か」を問う635字の記事だった。

■ろう夫婦、決意の出産

 全日本ろうあ連盟の機関紙「日本聴力障害新聞」も、73年3月号1面で臨月を迎えた仲むつまじい夫妻の写真を添えて伝えると、ろう者の世界で大きな反響を呼んだ。長野県の女性が「先天性ろうは不幸な子ども。中絶可能な時期に見つけ出す研究はぜひ進められてほしい」(5月号)と投稿すると、山口県の男性は「音が聞こえないとか、目が見えないとかの不自由が、なぜ不幸に結びついてしまうのか」(8月号)と反論した。

 同年3月18日午前9時45分。産声が上がった。体重3200グラムの男の子。石野さんが夫妻に聞くと、「名前はもう決めたんだ。勉というんだ」。夫妻は賢くなってもらいたいという思いを込めたと手話で語った。

 当時、泣き声に反応して振動で知らせてくれる機器はない。夫妻に親族からの支援は見込めない。毎晩、夜泣きに素早く対応できるように、夫妻は交互に起きて勉ちゃんの様子を目で確かめ、あやした。

 しばらくして、石野さんは勉ちゃんが病気にかかったという噂を聞いた。手話通訳のいない病院の待合室で、どこに連れて行けばよいか分からず戸惑う妻の姿を、他のろう者が目撃している。

 後日、わずか5文字の手書きのはがきが届いた。

 「勉が死んだ」

 生後2カ月の訃報だった。

 生後2カ月の訃報だった。