■根底にある差別・偏見 訴え続け

女性部会の仲間で話し合う香田さん(テーブル奥の左から2人目)たち=1月6日、京都市南区・日本自立生活センター

 京都を拠点に優生保護法(1948~96年)を問う、障害当事者を中心とした女性団体「障害者権利条約の批准と完全実施を目指す京都実行委員会女性部会」。同法に基づく強制不妊手術に関する初めての国家賠償請求訴訟が昨年1月、仙台地裁で始まる前から活動を続けてきた。日常生活で感じる差別や偏見を話し合う中で、強制不妊手術の被害者の約7割を女性が占めた同法に関心を持ち、2015年ごろから学習会を企画している。

 「そんな法律があったなんて」。医師から中絶を勧められた全盲の櫻田朋子さん(74)=京都市北区=は、府立盲学校時代の記憶がよみがえった。視覚と知的の重複障害のある少女に付き添う家族が「この子は自分で下(しも)の始末ができないだろう。大きくなっても心配ないようにしてある」と話していたのを思い出した。同法下では「月経の始末ができない」ことを理由に強制不妊手術が行われた実態があり、「あれは手術のことだったのではないか」と推察する。

 脳性まひで言語障害がある香田晴子さん(56)=山科区=は高校時代、近所の手芸店の女性店主から不意に「生理あるんか。後始末できるんか」と聞かれ、「なんでそんなことを聞くんやろ」と不思議に思った経験がある。同法を知って「私も被害者になっていたかも」と怖くなった。

 強制不妊に対する世の中の関心が低く、もどかしく思ってきたメンバーもいる。大学非常勤講師の松波めぐみさん(51)=南区=は約10年前から、放射線照射による不妊手術を受けさせられた故佐々木千津子さんを追ったドキュメンタリー映画を、授業で取り上げてきた。「大変な人権問題なのに政府は動かず、メディアは報道せず、世間の人は知らなかった」と話す。

■法律なくなって23年。今も障害者は一人の人間として認められていない

 優生保護法がなくなって今年で23年が経っても、障害に対する社会の理解は十分ではなく、当事者は生きづらさを感じているという。

 41歳の時、転落事故で頸髄を損傷して電動車いすを使うようになった村田惠子さん(57)=南区=は、病院の入浴介助で男性看護師が現れたことに驚いた。女性として男性に体を見られたくなかった。「障害をもった途端、女性という性が存在していないかのように扱われる」と悔しかった。

 櫻田さんは「障害者は今も一人の人間として認められていない」と訴える。弁当店で釣り銭の間違いを指摘すると、「目は見えないのに計算はできるんですね」と言い放つ店員がいた。白杖を使って歩いているだけで「偉いですね」とは言ってほしくない。

 櫻田さんは現在、はり・きゅうやマッサージの仕事で生計を立てている。触って鑑賞できる美術展があると聞けば会場に足を運び、作品の表面や輪郭をなぞって形の美しさや手触りを確かめ、作家の意図に思いをはせる。点訳の楽譜を基にピアノも弾く。障害者は何もできないと勝手に決めつけないでほしい。

 「このセーターも私が手編みしたの」。写真撮影に応じながら、ほほ笑んだ。