■「手術には慎重でありたい」。障害児施設として異例の意見表明

1965年に発行された近江学園年報の第11号。「優生手術には慎重でありたい」と記している

 忙しい時でも夜には布団で添い寝をして、本を読んでくれる優しい父親だった。だが、あの日は言葉に怒気を含んでいたと記憶している。

 「これはひどい話だ」。糸賀一雄の長女、山下牧子さん(79)=京都市左京区=は幼少期、自宅で父が母にこぼす声を聞いた。

 「良い家のお嬢さん」が知的障害児施設の近江学園(当時は大津市)に入ってきた。親の意向で不妊手術をした後だった。クリスチャンの糸賀は「神様に許されることではない」と嘆いていたという。

 現在の近江学園(湖南市)を訪ねた。1949~70年に活動報告としての年報を12回発行していた。65年3月の第11号をめくっていた時、「優生」の文言を見つけた。

 同年までに学園の退園者14人から寄せられた結婚の事例を、5ページにわたり紹介していた。31歳女性は「優生手術をして子供ができないことで夫婦ゲンカになった」。24歳女性は「結婚してホヤホヤ。相手は就職先の息子で精神薄弱(知的障害の当時の呼称)。本人承認の上で優生手術を受けている」。

 学園の考えを記した文章の一つに、目が留まった。

 「優生手術には慎重でありたい。この人たちの結婚問題に対する受けとめをする構えをわれわれは用意しておかねばならない」

 年報の編集者は糸賀だった。講演中に倒れて急逝する3年前のことだ。60年代は滋賀県内で150件もの強制不妊手術が行われた時代。障害児施設として、異例の意見表明だったのかもしれない。

■現場に浸透していたか、疑念も

 約40年間、近江学園で働いた守山市の90代男性は、糸賀が「雲の上の存在」だったと語る。顔を合わせるのは年に1回程度で、職員向けにまれに開かれる糸賀の「園長講座」は貴重な場だった。

 優生保護法の強制不妊や中絶に触れた機会があり、糸賀は「人間の知恵で、人間に手を加えて、人間を否定するような立場や、考え方には賛成できない」と発言したという。

 だが「糸賀イズム」が福祉現場に浸透していたかどうか、男性には疑問もあるという。

 50年代後半に学園系列のある施設に移り、引き継ぎを受けた。前任職員は10代の男児2人を指さして「あの子とあの子は、そうだから」。断種した、という意味だった―。手術をしないと彼らの人生に不具合が起きる、と平然とした口調で説明された。

 「手術を受けた子は元気や男らしさがない」。滋賀県内外の知的障害児施設の職員が集まる会議で、感じたままを発言した。すると岡山県内の施設の医師が怒り出した。「ありえない! 体の一部に手を入れても、人間の性格が変わったり病気がちになることはない。君が間違っている」

 素朴な疑問は全否定された。障害児福祉の一線で、断種を容認する空気感があった。
 「糸賀先生の理想が現場にきちんと伝わっていたかといえば、現実はそうじゃなかったのかもしれない」。男性は目をつぶり、かみしめるように打ち明けた。