■認知症の元保健師、揺らぐ発言。どこまでが事実なのか

滋賀県が開示した優生保護法の関連公文書の一部。現存しても黒塗りが多く、第三者は検証できない

 窓から薄日が差し込む特養ホームの一室で、大津市の元保健師女性(90)は語り始めた。

 「私は結核患者が担当で直接は知らない。ほかの保健師は家庭訪問をしていたみたい」。優生保護法で強制不妊手術の対象となる障害者らがいれば、地域の精神科医が保健所長に連絡する。指示を受けた保健師が本人や親に会って手術を打診―。保健所が果たした役割を説明してくれた。

 手術への同意と拒絶、親の反応は「半々ぐらいだったやろうね」。手術なんてしたくない、なぜ必要なのかと本人が拒んだこともあったと話した。

 「手術が必要な人には、しつこく言わないと。話を聞いてくれない人には、気分の良さそうな時に行ったりもした。本人が嫌でも親を説得して、オッケーとなっていったんですわ」

 質問を続けていると、証言が揺らぎ始めた。

 「何度も何度も説得しに足を運んだ」。直後に「断られたら、それでおしまい」。記者が困惑していると「優生手術の家庭訪問なんて保健師はしてないよ」とさらに変遷した。

 取材に同席した義理の息子(71)によると、元保健師は5年ほど前に認知症と診断された。昨日食べたものも忘れてしまう。「昔のことは記憶しているんですけど…」

 手術を勧めたという保健師たちは、どんな心境だったのか。「そりゃあ、つらいわ。嫌なことを言いに行くんやから。子どもを産めなくなるのはかわいそう。好ましい仕事ではなかった」

 貴重な証言だと思う。だが元保健師は時折、糸が切れたように矛盾した発言を繰り返した。彼女の話がどこまで事実なのか、確証は持てなかった。記憶が鮮明な時に、出会いたかった。

■積年の被害放置、検証阻む 

 優生保護法が母体保護法に改正されたのは23年前。手術を強いられた人の支援団体は当時から国に謝罪と検証を求めたが、旧厚生省は「手術は合法で調査は不要」と責任逃れに終始し、都道府県は目を背けてきた。この間、京都新聞の報道も少なく、人権侵害を追及してこなかった。

 社会が問題を放置した。時は流れ、当時を知る人の記憶は薄れた。

 昨年1月以降、被害者19人が裁判で国を訴えているが、検証は進んでいない。滋賀県は「当時の職員1人に確認したが、状況の詳細は分からなかった」。京都府も「職員が生きているかは調べていない。国の救済法案を見ないと、検証内容を決められない」と消極的だ。

 被害を裏付ける公文書は保存期限切れという行政の都合で大半が廃棄された。滋賀県には、これまでに3人の家族から手術を受けさせられたと相談が寄せられた。しかし、該当する手術記録は残されていない。

 法制定から71年。「子どもを産んではならない」と差別の刃(やいば)で体を刻まれ、沈黙を強いられた人たちは、老いや病を抱えながら、今も地域に暮らしている。

 22年間、被害を告発してきた高齢女性は言う。「このまま闇に葬られては困る」。自分の人生に何が起きたのか、なぜ手術が進められたのか。知りたいのに、分からない。