■戦後の「闇」、優生保護法

優生保護法案の提出を伝える紙面

 優生保護法(1948~96年)下で障害者らに強制不妊手術が繰り返された問題で、被害者や配偶者が相次いで国家賠償請求訴訟を起こしている。法施行から71年。おわびや補償を盛り込んだ法案づくりがようやく動き出している。「公益」の名の下、体を傷つけられ、子を産む権利を奪われた人たち。京都府、滋賀県に残る公文書を軸に、戦後の暗部をひもとく。

■障害者らに繰り返された強制不妊手術

京都、滋賀の強制不妊手術件数

「不良な子孫」

 1948年、「不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とする優生保護法が、国会で全会一致で成立した。強制不妊手術と人工妊娠中絶を合法化。戦地からの復員や引き揚げで人口が増えて食料難に陥る中、出生数の抑制を狙った。当時の国会では産婦人科医でもあった谷口弥三郎参院議員が「子供の将来を考える優秀な人々が産児制限をし、低能者らが行わない結果、国民素質の低下、民族の逆淘汰を起こすおそれがある」と正当性を主張した。京都府与謝野町出身の太田典礼衆院議員も関与した。

 4年後の法改正で対象を拡大。国は複数の疾患や障害、「性欲異常」「犯罪傾向」といった幅広い人々を「不良」と決めつけた。国の統計によると49~92年に全国で少なくとも1万6475人が強制不妊手術を受けさせられた。京都府内の被害は95人、滋賀県内は282人に上る。

国の身体拘束や麻酔薬使用、欺罔(ぎもう)の手段を容認する通知(京都府立京都学・歴彩館所蔵)

身体拘束認める

 国の残忍さを表す公文書が、京都府立京都学・歴彩館(京都市左京区)に残っている。

 49年10月、都道府県に対し厚生省(当時)は、強制不妊手術の手段として「身体の拘束、麻酔薬施用、又は欺罔(ぎもう)(だます)等の手段を用いることもゆるされる」と通知した。「基本的人権の制限はいうまでもない」と認めつつも、憲法違反ではないとの見解を示した。その理由を、「公益上の目的」があることや、「(都道府県が設ける優生保護審査会や再審査制度など)手続きは極めて慎重で、人権に充分配慮している」とした。

ずさんな審査

 しかし、ずさんだと言わざるを得ない審査が存在したことを、残存する公文書が示している。
 京都府の文書によると、58年11月19日、京都大や府立医科大の教授らでつくる審査会は、知的障害のある女性の断種を認めた。別の文書には「手術を行った日付 11月14日」と記されており、断種の適否を判断する5日前の手術だったと読み取れる。

 滋賀県では70~72年、同法施行令などに反して県が審査会を開かず、県職員が審査会委員を個別に訪問する書面だけの「持ち回り審査」で4人の女性の断種を決めた。親が娘への断種を拒否した事例では、再審査の方法を知らせず、この親を「無知と盲愛」と侮蔑する記述が残る。

 厚生労働省は審査が形骸化していた疑いについて「個別の事案は何とも申し上げられない」とする。滋賀県と京都府は原因究明に消極的だ。

検証の壁

 検証を阻む壁は厚い。「親が手術を進めた」「夫にも言っていない」と事情はさまざまで、被害の告白には精神的苦痛を伴う。手術を受けさせられた認識を抱けず、意思表示が難しい人もいる。

 自治体は、被害を裏付ける審査会資料の多くを「保存期限切れ」として廃棄した。京都では全体の13%に当たる13人分、滋賀は3%の10人分しか残されていない。健康診断書や申請動機、手術の報告書など政策プロセスや実態を知るために重要な文書は、行政の都合で失われてしまった。

訴訟と救済

 昨年1月、宮城県の60代女性が「不妊手術の強制は憲法違反」として国を提訴したのを皮切りに、原告は今月13日時点で宮城、東京、北海道、熊本、大阪、兵庫、静岡の7都道府県の男女19人に増えた。

 与野党の国会議員は一時金を支払う救済法案づくりを進めている。現状では優生保護法の違憲性に触れず、おわびの主体も「われわれ」と曖昧だ。被害者の全国弁護団や支援団体「優生手術に対する謝罪を求める会」は、第三者委員会による検証など、内容の改善を求めている。

 優生思想は現代につながる問題だ。16年7月に相模原市で障害者19人が殺害された事件では、障害を理由に命を軽んじる被告の供述に理解を示す意見がインターネットで散見された。

 優生保護法が社会に張り巡らせたこの差別意識をどう乗り越えるか。問われているのは、今に生きる私たちだ。