本庶佑・京都大特別教授の医学生理学賞受賞からほぼ1年。今年のノーベル賞の発表がきょうから始まる。

 2000年以降、日本人の受賞が相次ぎ、自然科学分野では米国に次ぐ世界第2位となっている。

 受賞が珍しくなくなったからか「日本はノーベル賞に騒ぎすぎだ」という声も聞かれる。とはいえ今年も有力候補者名が挙がり、期待は高まる。

 そんな気分にあえて水を差しておきたい。日本の科学の基盤的な力が弱まっているとして、国際的地位の低下が危惧されているからだ。

 「科学への投資が停滞し、日本の科学研究は失速している」―。英科学誌ネイチャーがそう指摘したのは2年前だった。

 同様の声はあちこちで聞かれる。19年版の科学技術白書は、特集テーマとして基礎研究を正面から取り上げ、日本の厳しい現状に触れた。

 論文の数は04~06年は米国に次ぐ2位だったが、14~16年は中国とドイツに抜かれた。中でも引用回数が多く、質が高いとされる論文数は4位から9位に低下している。

 研究資金が伸び悩み、博士課程への入学者数は減少傾向にある。研究者を支えるスタッフの数も諸外国と比べて少ない。

 博士号を取っても若い研究者の雇用は不安定で、ワーキングプア化しているといわれる。充実した研究環境を求め、優秀な人材が海外に流出すると懸念されている。

 1990年代に多くの企業の中央研究所が閉鎖され、2004年の国立大学法人化以降、運営費交付金の減額が続いた。

 ノーベル賞受賞ラッシュの陰で、日本の研究基盤が危機に陥っている。科学立国の輝きが失われ、再び受賞が珍しい時代が近づいているようだ。

 なぜ、こんな事態になったのか。研究開発費の「選択と集中」政策を問題視する声は多い。

 政府は限られた予算を効果的に使うため、結果や利益に直結しやすい応用研究を重視し、競争的資金を投下している。

 大学の非効率な体質を改める狙いもあるが、すぐに成果が出そうな研究への投資に偏りすぎた結果、地道な基礎研究にしわ寄せが来ているという。

 政府は「イノベーション創出」を掲げるが、十分な結果が出ているとはいいがたい。

 ノーベル賞のような大きな成果は、基礎研究を重ねた先にこそある。中長期的な戦略を欠き、近視眼的な観点にとらわれるのは、バブル後の日本の低迷を思い起こさせる。

 苦しいときこそ種をまき、芽をはぐくむことが求められる。

 「1億円があったなら、10人に与えて10個の可能性を追求するべきだ。特に若い人にチャンスをあげてほしい」。昨年の受賞時の会見で、本庶さんはそう訴えていた。

 若い研究者が「面白い」と思う研究に安心して打ち込むためには―。そこから出発して必要な環境を整えていく。発想を転換し、政策そのもののイノベーションが必要ではないか。