あおやま・かずお 1962年京都市生まれ。ホンジュラス、グアテマラとメキシコでマヤ文明を調査。日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞。著書に「マヤ文明」「マヤ文明を知る事典」。

 マヤ文明は、紀元前千年頃から2500年にわたり中米で盛衰した。マヤの支配層は文字、暦や天文学を高度に発達させた。

 私たちは、メキシコのアグアダ・フェニックス遺跡で、長さ1400メートルを超えるマヤ文明最大で、紀元前千年頃の最古の大基壇(平面的な公共建築)を発見した。3日付英科学誌ネイチャーで発表した。社会階層はまだ未発達で、大基壇は共同体の祭祀(さいし)の場だった。集団の統合を象徴したと考えられる。一方で西暦3世紀から9世紀頃の垂直な神殿ピラミッドは、諸王の権力を誇示している。

 9世紀頃にはマヤの多くの都市が衰退した。主要因は人口過剰や環境破壊、戦争だった。都市化が進むと農民ではない人々が増え、食料供給に必要な農耕地が不足するようになった。人々は、より住みやすい場所に移住していったので、数々の都市が放棄された。諸都市が繁栄を極めた結果、その限界を超えて衰退したのである。

 諸王は、戦争や環境破壊等の問題に対応するために、私達から見ると最悪の時に最悪の解決策を講じた。すなわち王権を正当化し、神々の助けを請うため、より巨大な神殿ピラミッドを建設・増改築し続けた。当時の偏った考え方に基づく「常識的な」解決法であった。

 その結果、賦役に駆り出された農民の負担は増大。農業が圧迫されて食料が不足し、戦争が激化した。巨大化した神殿ピラミッドは、マヤ文明の黄昏(たそがれ)の始まりの象徴だ。現在の超高層ビルブームを連想させる。

 その後、スペイン人が16世紀に侵略し、天然痘やはしかなど未知の感染症がマヤの都市で大流行した。人口は10分の1未満に激減した。人類史上で最も悲惨な歴史のひとつだ。現在は人口が回復し、800万人以上のマヤ人が外来文化を取捨選択し、マヤ文化を創造し続けている。マヤは回復力が高い社会である。

 マヤ文明盛衰の教訓は何か。統一王朝がなく多様な王国が共存したので、マヤ文明は曲折はあったが16世紀まで発展した。生物多様性の保全と同じく社会も多様性が文明の回復力を高める。日本も各地域が各々の特徴を生かし、持続的な社会を創生して回復力を高めることが重要だ。

 数百年、数千年の文明盛衰の過程を検証できるのが考古学の強みだ。私達は目の前の問題を意識しすぎ、中長期的な展望を見失っていないだろうか。自らの偏った考え方を認識・超克できず、諸問題の根本的な原因を見落としたり、新たな選択肢を見逃したりしていないだろうか。

 マヤ文明の盛衰は、「文明とは何か」を私達に問いかけてくる。(茨城大人文社会学部教授)