近藤勇の所用刀「阿州吉川六郎源祐芳」

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 1995年、阪神大震災の発生後、まだ電車も動いていない時期に神戸市長田区から歩いて霊山歴史館(京都市東山区)に来館した親子があった。

 被災してすべてを失い、どうすればいいのかと悩んだ時に幕末の志士を思った。身分や生活をなげうち、脱藩までして国事に奔走した。非常時こそ彼らに学べるのではないか。そう考え、人生を立て直す第一歩として同館を訪ねたという。

新選組大幟

 同館は幕末、明治維新期の資料を収蔵する。そこに行けば志士たちに会え、彼らに励まされるような気がするのも、博物館という施設の特質だろう。特に幕末、明治維新期は150年ほどの近い昔であり、ゆかりの人物の息吹を生々しく伝える。

 学芸課長木村武仁さんが好きな館蔵品は近藤勇の所用刀「阿州吉川(あしゅうきっかわ)六郎源祐芳(すけよし)」。新選組局長らしい豪快な実戦刀だ。「分厚く、長く、重い。質実剛健という近藤のイメージ通り」。同じ新選組でも土方歳三の刀は薄くてスタイリッシュだという。刀の選び方には人柄が出る。まして幕末は実際に人を斬った。

坂本龍馬像 制作:江里敏明氏

 坂本龍馬を暗殺したとされる刀も迫力がある。長さ42センチほどの脇差しで激しく刃こぼれし、壮絶な斬り合いの様子が伝わる。龍馬は3人に襲われ、34カ所も斬られたという。刀の持ち主桂早之助(かつらはやのすけ)は京都見廻(みまわり)組の隊士。小太刀の名手だったが、1カ月後の鳥羽伏見の戦いで戦死し、刀は実家に受け継がれた。

 同じく館蔵品の龍馬直筆の手紙はその人物像を伝える。話すような速さで書かれ、文字に大小があり、誤字脱字もある。喜怒哀楽を豊かに表す人だったと木村さんは分析する。相手への親しみを込め、冗談も交え、読まれることを楽しみに書いた。そんな手紙の書き手が惨殺される。激動期の過酷さを物語る。

 木村さんが好む志士は西郷隆盛だ。批判を恐れず信念を持って国を変えようとしたからだ。「弱者を一番に考えた人。今、西郷がいたら、もっと民に寄り添う政治をするのではないか」

 志士たちは陽明学の「知行合一」を重んじた。理想と現実を近づける思想で、それが時に過激な行動ともなって現れた。ただ「梁川星巌、勝海舟ら精神面での指導者がいた。現代はそうした存在がない」と木村さんは指摘する。

 

 霊山歴史館 幕末、明治維新期の資料を集める。ほぼ毎年展示する新選組大幟(のぼり)は高さ約3メートル、幅1メートルもある。新選組二番隊伍長、島田魁の遺品で、北関東や東北転戦時、島田が体に巻いて戦い、血や汗、焦げ跡が残る。ただ、寄贈時に子孫が汚れを気遣って洗濯し、生々しさはやや緩和されたという。近年では横浜市にある武溪文庫の資料147点を譲り受けた。勝海舟の「咸臨(かんりん)丸自画賛」や山県有朋の和歌などを含む。京都市東山区清閑寺霊山町。075(531)3773。